信濃国分寺

信濃国分寺

長野県上田市国分にある天台宗の寺が信濃国分寺(しなのこくぶんじ)。聖武天皇の詔(みことのり)で創建された信濃国国分寺の後継寺院で、南側300mほどのところには信濃国分寺跡があります。松本平に国府が遷される以前には小県郡(ちいさがたぐん)、つまりは現在の上田市に信濃国の国府があったともいわれています。

室町時代築の三重塔は国の重要文化財

寺伝によれば、承平8年(938年)、平将門(たいらのまさかど)と上洛途上の平貞盛(たいらのさだもり)の国分寺河原の戦(平将門の乱の一部)で、往時の国分寺が焼失、移転したと伝えられています(現在地への移転の年代は律令制が緩んだ平安時代後期と推測されますが、定かでありません)。

天正13年(1585年)の第一次上田合戦では、上田城に籠城する真田昌幸を徳川軍が攻めきれずに真田軍が勝利していますが、その際に三重塔を除いた堂宇が兵火で焼失しています。

慶長5年(1600年)の第二次上田合戦では、真田昌幸は、徳川秀忠と信濃国分寺境内で会見し、和平を結んだと見せて油断させ、結果として徳川秀忠(徳川軍本隊)が関ヶ原の合戦に間に合わなくなるという結果を生んでいます。

一見すると善光寺の本堂にも似た信濃国分寺本堂は、江戸時代末期の万延元年(1860年)築で、長野県の県宝に指定。
2階建てに見えますが、1層目の屋根に見える部分は裳階(もこし)と呼ばれる庇(ひさし)です。
室町時代中期の築と推測できる三重塔は、塔高20.1mで国の重要文化財に指定されています。

「八日堂」とも通称されるのは、正月に『八日堂縁日』が行なわれるから。
往時には貴重な交易の場だったと推測できます。

『八日堂縁日』

八日堂縁日

1月7日〜1月8日に行なわれる『八日堂縁日』が有名で、ドロヤナギ(泥柳)材で作られた六角柱型の「蘇民将来符」が授与されます。
牛頭天王(ごずてんのう)が竜宮への旅の途中、一夜の宿を求めて、裕福な兄の巨旦(ごたん)の扉をたたくと、「我が家は貧乏だから」と断られてしまいますが、貧乏な弟の蘇民将来の家では、温かくもてなしてくれました。
牛頭天王はお礼にと茅の輪と護符を蘇民に渡し、以降、蘇民の家には繁栄がもたらされたのです。
こうした伝説から、牛頭天王は悪事を払う神で、「蘇民将来」という札を身に着けていれば(現在では家の玄関口に飾れば)、悪事を払うという信仰が生まれたのです。
注連縄に「蘇民将来子孫家門」、「大福長者蘇民将来子孫人也」などと記されているのは、「私は蘇民将来の子孫です」と宣言することで悪事を払おうとする信仰。
信濃国分寺の『八日堂縁日』「蘇民将来符頒布習俗」として国の無形民俗文化財に指定されています。
ちなみに牛頭天王は、本来は釈迦が説法を行なった祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の守護神ですが、日本では神仏習合時代の行疫神として流布されました。
明治の神仏分離で、牛頭天王は素戔嗚命(すさのおのみこと)となったので、八坂神社(かつての祇園社/京都市)、津島神社(かつての津島牛頭天王社/愛知県津島市)でもその信仰が継承されています。

信濃国分寺
名称 信濃国分寺/しなのこくぶんじ
所在地 長野県上田市国分1049
関連HP 信濃国分寺公式ホームページ
電車・バスで しなの鉄道信濃国分寺駅から徒歩8分
ドライブで 上信越自動車道上田菅平ICから約4.5km
駐車場 あり/無料
問い合わせ 信濃国分寺 TEL:0268-24-1388/FAX:0268-26-6588
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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