科野大宮社

科野大宮社

長野県上田市にある古社で、信濃国総社とされるのが科野大宮社(しなのおおみやしゃ)。総社とは、律令制度の設立で国府に赴任した国司が、当初は国内の神社に巡礼していたのを簡略化するため、祭神を集めて祀った神社のこと。国司が務める国庁近くに創建されるもので、科野大宮社も当初は総社大宮と称していました。

信濃国の国司が参拝した信濃国総社

信濃国の国府は、小県郡(ちいさがたぐん=現在の上田市)に置かれ、律令制度の充実とともに、越国(こしのくに/越前・越中・越後)との交通網の関係で、平安時代初期に松本平(現・松本市国府町)に移されたと推測されています。
上田市の国府がどこにあったのかは定かでなく、神科台地上にあったとする説が有力ですが、まだ遺構がみつかっていません。
そのため、小県郡に国府があったことを疑問視する見方もありますが、国分寺、国分尼寺の遺構が発見されていることからも、当初の国府があったという説を上田市は採用しています。

科野大宮社は、天正11年(1583年)に真田昌幸が上田城を築いた後には、上田城の鎮守社となり、藩政時代には上田藩主の尊崇をあつめています。
現存する社殿は、江戸時代末期の万延元年(1860年)、上田藩主・松平忠礼(まつだいらただなり=最後の上田藩主)の再建。
境内社の六所明神と駒形稲荷社は、上田城築城の際に、遷されたものと伝わります。

境内に茂る巨大なケヤキは、樹齢300年以上と推測され、「科野大宮社社叢」として上田市の天然記念物に指定されています。

名称 科野大宮社/しなのおおみやしゃ
所在地 長野県上田市常田2-22
電車・バスで JR・しなの鉄道上田駅から徒歩15分
ドライブで 上信越自動車道上田菅平ICから約4km
駐車場 参拝者専用境内駐車場を利用
問い合わせ TEL:0268-27-5018
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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