天正11年(1583年)に真田信繁(真田幸村)の父・真田昌幸が築城した上田城。徳川の大軍を二度にわたり退けた難攻不落を誇った名城が、桜の赤、モミジの深紅、イチョウの黄色などが鮮やかに上田城跡を彩り紅葉時期にはさらに魅力をアップ。
期間中「けやき並木紅葉ライトアップ」を実施

日本夜景遺産認定の「けやき並木紅葉ライトアップ」は、祭り期間中の日没〜22:00に実施。
体験型のアトラクションとしては、乗馬体験、甲冑着用体験を予定。
ステージイベントは、信州上田おもてなし武将隊ステージパフォーマンスや上田城太鼓サミットを実施。

赤備えの甲冑の「信州真田鉄砲隊」演舞も必見!
また、赤備えの甲冑に身を包んだ信州真田鉄砲隊演武も予定されています。
関ヶ原の合戦では、東西両軍あわせておよそ5万挺の火縄銃が使われたといい、戦国時代末期の日本全国の火縄銃推定保有数は15万挺tともいわれ、世界屈指の火縄銃大国だったことがわかっています。
徳川家康をも苦しめたとされる真田幸村の「真田流火術」を研究し、実演しているのが信州真田鉄砲隊(会長・一本槍信男さん)。
平成5年、当時の真田町のイベントに大阪城鉄砲隊を招待。これを見て自分たちもと鉄砲隊を結成したのだとか。
「真田幸村(真田信繁)が考案した鉄砲術を受け継ぎ、後世へ伝えていこうと活動している」とのこと。
馬上から相手の馬に撃ちかける銃身を短くした馬上筒など異色の火縄銃も扱っています。
真田幸村(真田信繁)が散った大坂夏の陣最後の決戦で、幸村は徳川家康の本陣を急襲。そのとき、幸村は馬上から家康を狙撃せんと銃を向けた、それがこの馬上筒です。『南紀徳川史』によれば、馬が揺れて、幸村は手にしていた馬上宿許筒(ばじょうしゅくしゃづつ)を取り落としてしまったため、家康は家臣に守られ逃げ去ったのだとか。
関ヶ原の合戦で西軍についた幸村は合戦後、本多忠勝の助命嘆願で一命をとりとめ、高野山に蟄居。その後、紀州・九度山(現・和歌山県九度山町)に移り14年間を過ごしています。困窮し、酒に溺れる自堕落な生活とも伝えられますが、実は紀州という地の利を活かし火縄銃の開発などはこの時期だったとも推測されています。

上田城紅葉まつり | |
開催日 | 2019年11月2日(土)〜11月3日(日・祝) |
時間 | ライトアップは日没〜22:00 |
所在地 | 長野県上田市二の丸3-17 |
場所 | 上田城紅葉まつり |
関連HP | 上田市公式ホームページ |
電車・バスで | JR・しなの鉄道上田駅から徒歩12分 |
ドライブで | 上信越自動車道上田菅平ICから約4.8km |
駐車場 | 上田城跡駐車場(100台/無料) |
問い合わせ | 信州上田まつり実行委員会(事務局上田市観光課) TEL:0268-23-5408 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |