戸隠神社中社

戸隠神社中社

長野県長野市、平安時代から修験者が集うなど、信仰の地だった戸隠(とがくし)。その中心となるのが戸隠神社中社(ちゅうしゃ)で、宝光社(ほうこうしゃ)、奥社、九頭龍社、火之御子社の5社をあわせて戸隠神社と総称されています。宝物殿「戸隠神社青龍殿」も中社に併設されています。

戸隠神社御神籤に注目を!

うっそうとした杉並木の参道を進むと、昭和30年に再建された重厚な唐破風入母屋造りの中社の社殿があります。

中社の戸隠神社御神籤(とがくしじんじゃおみくじ)は、自分の年齢(数え年)、男女の別を神職に伝えてから授与されるユニークなおみくじ(御神籤は、中社、宝光社、奥社に用意)。
神職から手渡された御神籤は、自宅に持ち帰り、日々の生活の指針にします。

江戸時代までは天台宗の寺であったため(天台宗の観音籤・かんのんせんが現在のおみくじのルーツ)、戸隠神社の御神籤は長い歴史があるものと推測でき、天海僧正もわざわざ取り寄せて、未来を占ったと伝えられています。

つまり、戸隠神社の御神籤の授与する方法(神職が祝詞の中で、参拝者から聞いた年齢と男女の別を戸隠の大神様に告げ、吉凶を尋ねる)は、お経を唱え、ゆすった筒の口から出た籤で占うという天台宗寺院時代のスタイルを神式に変えて踏襲していると考えられるのです。

月並祭、例祭などで奉納される伝統の『太々神楽』は、自由に見学できます。

中社、宝光社、奥社、九頭龍社では祈祷も行なっています(祈祷を希望する場合には予約を)。
また、中社には宝物殿として、戸隠神社青龍殿を併設し、明治以前の神仏習合時代の戸隠山を詳しく解説しているので、時間があれば見学を。

中社の門前にある「戸隠神社旧本坊勧修院久山館」は、かつての別当(戸隠山の管理者)だった本坊勧修院。
現在は神殿を祀る旅館(宿坊)を営み、「そば処ひさやま」も営業しています。

「蕎麦会席の宿 鷹明亭 辻旅館」も往時は宿坊。
門前町の旅館は、往時の宿坊がそばで旅人をもてなす宿になったものですが、宿泊すれば、戸隠信仰、戸隠講、戸隠そばなどのつながりがよくわかるでしょう。

江戸時代までは、神仏習合の戸隠山顕光寺だった!

伝承によれば嘉祥2年(849年)、戸隠は学門行者によって開山したとされ(『戸隠山顕光寺流記』などによる)、平安時代には山岳修験の地として繁栄しました。

学門行者が、戸隠山の岩窟(現在の奥社)で祈念すると、聖観音、千手観音、釈迦如来、蔵菩薩が出現。
さらに九頭竜が現われて、人間を救うこの仏法の山に大伽藍を建てよと告げ、岩窟を大磐石で閉ざして姿を隠したことが、戸隠という山名の由来とも(戸隠山は天の岩戸が落ちてきて山となったという伝承は鎌倉時代以降のもの)。
こうして平安時代以降、日本古来の神道、修験道、そして仏教が習合し、神仏習合の地となったのです。

戸隠山顕光寺が建立され、比叡山、高野山とともに「三千坊三山」と呼ばれるまでに発展。
戦国時代に上杉・武田の対立に巻き込まれ、伽藍を焼失するなど衰退しますが、徳川幕府の治世になると、天海僧正の登場で、天台宗が力を増し、戸隠山顕光寺も江戸・東叡山寛永寺(上野の寛永寺)の末となって繁栄します。

現在も全国に講中組織のある戸隠講は、この戸隠山顕光寺を信仰したもの。
戸隠そばも山岳修験者の携帯食から発展し、江戸時代に東叡山寛永寺の関係者がそば切りを伝えたと推測されています。

明治初年の神仏分離、廃仏毀釈で、戸隠山顕光寺は廃寺となり、僧は還俗して神官となり、戸隠神社と名前を変えて現在に至っています。
現在の中社は、往時の顕光寺中院で、祀られていた仁王像は小布施の岩松院に遷されて、仏像はありませんが、御神籤の授与方法を含め、神仏習合時代の風習も数多く残されています。

戸隠神社中社
名称 戸隠神社中社/とがくしじんじゃちゅうしゃ
所在地 長野県長野市戸隠中社3506
関連HP 戸隠神社公式ホームページ
電車・バスで JR長野駅からループ橋経由戸隠高原行きで1時間、中社宮前下車、すぐ
ドライブで 上信越自動車道長野ICから約30km
駐車場 110台/無料
問い合わせ 戸隠神社中社 TEL:026-254-2001/FAX:026-254-3180
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
戸隠神社奥社

戸隠神社奥社

長野県長野市、奥社バス停から森のなかにのびた参道を、約2kmたどった戸隠(とがくし)山中腹に鎮座する神社が戸隠神社奥社。祭神は「天の岩戸」を実際に開けた強力の持ち主、天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)で、御利益は五穀豊穰、心願成就。左手

そば処ひさやま(戸隠神社旧本坊勧修院 久山館)

そば処ひさやま(戸隠神社旧本坊勧修院 久山館)

明治維新まで戸隠山顕光寺(神仏習合)の霊地として繁栄した、長野県長野市戸隠。その戸隠山顕光寺の本坊だったのが、現在の戸隠神社旧本坊勧修院久山館で、宿坊を営む傍ら、宿坊の食事処を昼間には「そば処ひさやま」として営業。自慢の戸隠そばを味わうこと

徳善院蕎麦極意

徳善院蕎麦極意

長野県長野市戸隠(とがくし)の宿坊「極意」に併設されたそば処が徳善院蕎麦極意(とくぜんいんそばごくい)。江戸時代には戸隠山顕光寺の宿坊「徳善院」として、神仏分離、廃仏毀釈の明治維新以降は戸隠神社の聚長家(しゅうちょうけ=宿坊のこと)「極意」

戸隠神社中社

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