岐阜県(高山市)と長野県(松本市)の県境に位置するかつて国境(飛騨、信州)の峠が野麦峠。標高は1672.5mで、古来、野麦街道最大の難所でした。明治時代、生糸産業で栄えた諏訪へ、飛騨から女工が峠を越え、山本茂実の小説『あゝ野麦峠』、その映画化で有名になりました。
『あゝ野麦峠』政井みねの像も立つ
乗鞍岳(3025.7m)から南北に伸びる脊梁山脈(北アルプス・飛騨山脈)のうち、北側の穂高連峰寄りの峠が安房峠(あぼうとうげ/1790m)、南側の御嶽山寄りの峠が野麦峠という位置関係です。
現在では野麦峠を、岐阜県道・長野県道39号(奈川野麦高根線)が通過するので、歩かずに峠まで到達できます。
昭和初年までは、富山湾で揚がるブリを塩ブリにし、越中街道(飛騨街道)で高山を経由し、野麦峠を越え、松本・安曇野へと運ばれました。
歩荷(ぼっか)の背で運んだため、越中の浜で1尾の値段が米1斗だったのが、峠を越えると1尾米1俵にまで跳ね上がったといわれますが、それでも正月などに欠かせないものとして重宝されたのです。
野麦峠の岐阜県側には、天保12年(1841年)に旅人の避難施設として建設された「お助け小屋」が、かたちを変えて、食堂・休憩施設として営業しています(5月〜11月上旬)。
また、全国唯一の峠の資料館「野麦峠の館」も建っています。
峠一帯は峠の森として整備され、高台には展望台が配され、乗鞍岳を眺望します。
長野県側は、奈川へと下る旧野麦街道が野麦峠からワサビ沢まで(1.3km)整備され、岐阜県側では地蔵堂を経て、野麦の館まで(4.2km)旧野麦街道をハイキングすることができます。
岐阜県吉城郡河合村(現飛騨市河合町角川)出身の工女・政井みねが、岡谷で病に倒れ、兄に背負われ、野麦峠を越える際に「あゝ飛騨が見える、飛騨が見える」といって絶命したという逸話(明治42年11月20日)をモチーフにした石像が広場の中央に建っています。
昭和54年には『あゝ野麦峠』のタイトルのままに映画化され、政井みねを大竹しのぶが熱演。
明治、大正時代には飛騨の若い女性(13歳前後)は、列をなして峠を越え、諏訪湖周辺の製糸工場へ出稼ぎに出かけたのです(諏訪市の片倉館は、工女のための温泉保養施設として建設)。
日本最高所の一等水準点
野麦峠に置かれているのは三角点ではなく、一等水準点。
水準点は、河川や道路、港湾、下水道、鉄道などの建設の際、測量の基準として用いられる標高です(日本水準原点は、東京都千代田区永田町の憲政記念館近くにあります)。
県道上にあるは1672.4739mの一等水準点は、一等水準点としては日本最高所のもの(二等水準点は、渋峠2172mが最高所です)。
野麦峠 | |
名称 | 野麦峠/のむぎとうげ |
所在地 | 岐阜県高山市高根町野麦 |
関連HP | 高根村観光開発公社公式ホームページ |
ドライブで | 中央自動車道伊那ICから約54km。中部縦貫自動車道(高山清見道路)高山ICから約58km |
駐車場 | 20台/無料 |
問い合わせ | 高根村観光開発公社 TEL:0577-59-2326/FAX:0577-59-2328 |
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