長野県北安曇郡小谷村、千国街道(塩の道)の要衝、千国宿の千国番所跡にある史料館で、古民家を移築した千国の庄史料館、塩の流通を調整するための貯蔵庫「塩倉」、復元された千国番所、休憩施設の塩の道交流館「歩荷(ぼっか)茶屋」が整備されています。
塩の道の歴史を今に伝える千国口留番所を復元
千国の庄史料館の館内には塩の道の街道風景を表現した切り絵等や模型を展示。復元された口留番所(くちどめばんしょ)では塩の道の税の案内板や提灯、十手などを展示。
手形携行荷物改めをおこなう番所役人と書き役の人形などが配置され、旅人が土間に座って取り調べを受けていた雰囲気を体感できます。
千国口留番所は江戸時代はじめの慶長年間(1596年〜1615年)に松本藩が設置した関所。
明治2年に廃止されるまで、塩や海産物、穀類などの運上税(通行税)の徴収や荷改め・人改めを行なっていた国境(くにざかい)の関所です。
江戸時代初期には千国の庄屋が検問役を担っていましたが、後に松本藩の陣屋が築かれ、役人が赴任しています。
「塩一駄に付、塩大枡二升宛但京枡三升二合入」「鱒一駄に付上銀一匁宛」と塩と銀で税を納めるシステムでした。
口留番所はもともとは道路の北側、現在の火の見櫓の場所に位置していました。
建久元年(1190年)の『親見文書』に「六条院領信乃国千国御庄内、於他里、飯守所」という記述がありますが、この記述から四ヶ庄(現在の白馬村)と千国庄(小谷村)は、中世には六条院領だったことがわかります。
六条院は、白河上皇が長女・都芳門院婿子内親王の御所として建てた邸で、内親王の死後はこれを寺となり、多くの荘園の寄進が行なわれたのです。
そうした荘園としての呼び名が千国の庄です。
信越国境に近い千国は、塩の道の難所
現在の小谷村には、 大網宿、来馬宿(くるましゅく)、千国宿の3宿があり、山間を縫って白馬村の塩島新田宿へと続いていました。
千国宿は千国街道(糸魚川街道)と善光寺の参詣者が使った善光寺街道との分岐点でもあり、信越国境近くの街道の要衝だったため、松本藩の番所が設けられました。
千国宿では街道で唯一現存する牛方(うしかた=牛を使って荷物を運ぶのを仕事にしている人)が宿泊する牛方宿、牛が水を飲んだ弘法の清水もあるので、あわせて見学を。
小谷村村内の街道沿いに石仏群が多いのも(牛方宿へと通じる親坂には親坂石仏群があります)、豪雪地帯のため、行き倒れになる旅人や牛も多かったことから。
千国街道でも険路な部分では牛が荷物を輸送する切り札として活躍していました。
牛のヒヅメのほうが坂道での踏ん張りがきくこと、狼や山犬に襲われたときにも馬は逃げますが牛は抵抗したという利点があったのです。
牛方は、沿道の百姓たちが農繁期の合間に行った「作間稼ぎ」で、熟練すると牛1頭に2俵の米をのせ、6頭の牛を使ったとのこと。
千国番所跡・千国の庄史料館 | |
名称 | 千国番所跡・千国の庄史料館/ちくにばんしょあと・ちくにのしょうしりょうかん |
所在地 | 長野県北安曇郡小谷村千国乙 |
ドライブで | 上信越自動車道長野ICから約54.4km |
駐車場 | 15台/無料 |
問い合わせ | 千国番所跡・千国の庄史料館 TEL:0261-82-2536 |
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