針ノ木峠

針ノ木峠

長野県(大町市)と富山県(中新川郡立山町)の県境の峠が針ノ木峠。、北アルプス・後立山連峰(うしろたてやまれんぽう)、針ノ木岳と蓮華岳の鞍部に位置し、標高は2536m。信濃国と越中国を結ぶ要衝に位置し、明治13年には日本初の有料道路となる峠越えの立山新道も整備されています

明治13年、日本初の有料道路が開通!

天正12年(1584年)、浜松の徳川家康に援軍要請を求め、富山城主・佐々成政(さっさなりまさ)は、雪の立山越えは、立山温泉からザラ峠、針ノ木峠を越えたと伝えられています(「さらさら越え」)。
ただし、熊の毛皮で身を包んでの厳冬期の北アルプス横断ルートはあまりに過酷なため、安房峠越え、千国街道利用の可能性も指摘され、ルートは定かでありませんが、家康側の史料『家忠日記』(家康側近の松平家忠の日記)の天正12年12月25日の項に、「越中の佐々蔵助、浜松へ越し候」と明記されていることから、史実とされています。

明治の文明開化後、「日本アルプス」(Japanese Alps)の名づけ親であるウィリアム・ガウランド(William Gowland)、バジル・ホール・チェンバレン(Basil Hall Chamberlain)も針ノ木峠を越えて、立山に登っています。
明治11年にはイギリス領事館の書記官(後のイギリス公使)、アーネスト・サトウが針ノ木峠を越え、立山温泉に到達し、松尾坂をよじ登って、弥陀ケ原から室堂に至っています(天候不良で立山登山は断念)。

牛馬が通れる道幅9尺の立山新道が開削されたのは明治13年。
大町・安曇野界隈の塩は、糸魚川の塩問屋が価格などを支配していましたが、野口村(現・大町市平野口)の庄屋・飯嶋善造(飯島善蔵)は、明治3年に加賀藩が奥山廻り(北アルプス山中の見回り、資源の監視)が廃止されると、開通社を設立し、野口〜 針ノ木峠 〜ザラ峠 〜立山温泉〜原村(現・富山市原)を結ぶ道程22里18丁(約90km)、立山新道を開削します。
日本初の有料道路でしたが、2シーズンだけ管理され、要所要所に小屋を建て、牛小屋を置き、川には橋を架けるなど、その維持費が膨大にかかるため管理する開通社は解散しています。

明治26年8月、ウォルター・ウェストン(Walter Weston)は、この針ノ木峠を越えて、立山に登っています。

そんな歴史を背景に針ノ木峠は、南アルプスの三伏峠、奥秩父の雁坂峠とともに、日本三大峠にも数えられています。

針ノ木小屋(昭和5年、百瀬慎太郎が開設)の建つ、針ノ木木峠へは、日本三大雪渓のひとつ、針ノ木大雪渓を登り、4時間ほどの行程。
針ノ木小屋から針ノ木岳と蓮華岳へはともに1時間ほどで、蓮華岳には北アルプス随一といわれるコマクサ大群落があります。
針ノ木小屋の利用の際にはなるべく予約を(個室はありません)。

針ノ木峠
名称 針ノ木峠/はりのきとうげ
所在地 長野県大町市平・富山県中新川郡立山町芦峅寺
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針ノ木大雪渓

針ノ木大雪渓

長野県大町市、北アルプス・後立山連峰(うしろたてやまれんぽう)、針ノ木岳(2820.7m)の東面、マヤクボ沢の下部にあるのが針ノ木大雪渓。地形図には針ノ木雪渓と記載されていますが、白馬大雪渓、剣沢雪渓とともに日本三大雪渓に数えられるため、針

針ノ木峠

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