長野県七大名城とは!?

長野県七大名城

信州には国宝松本城のほか、「穴城」の小諸城、川中島合戦の拠点となった松代城、日本三大湖城の高島城、真田昌幸が徳川秀忠の大軍を退けた上田城、幕末に築かれた「五稜郭」の龍岡城、桜で知られる高島城と名城が数多く、以上の7城が日本100名城、続日本100名城選定の長野県七大名城です。

松代城|日本100名城

所在地:長野県長野市松代町松代44
築城年:永禄3年(1560年)
築城者:武田信玄
主な城主:森長可、松平忠輝、酒井忠勝、真田信之
史跡:国の史跡
遺構・文化財:城外御殿新御殿(真田邸)、藩校文武学校が現存
備考:『甲陽軍鑑』によれば山本勘助の築城とされ、川中島合戦の際、武田側の拠点として築城
元和8年(1622年)からは松代藩の藩庁で、真田氏の居城
日本の歴史公園100選にも選定

松代城

松代城(海津城/かいづじょう)は武田信玄と上杉謙信が相まみえた川中島合戦の際、1560(永禄3)年に信玄の拠点として築かれ、1622(元和8)年からは真田氏の居城となった城。『甲陽軍鑑』によれば山本勘助の築城。松代城公園となった一帯は国の史

上田城|日本100名城

所在地:長野県上田市二の丸3-17
築城年:天正11年(1583年)、寛永3年(1626年)
築城者:真田昌幸、仙石忠政(江戸時代初期に復興)
主な城主:真田昌幸、仙石忠政
史跡:国の史跡
遺構・文化財:石垣上に南・北・西の3つの櫓(やぐら)が残り長野県宝に指定
備考関ヶ原合戦の際に、徳川秀忠率いる大軍を足止めした堅牢な城として知られ、大河ドラマ『真田丸』で一躍脚光を浴びた城
小諸城主・仙石忠政(父は仙石秀久)が上田に移って上田藩を立藩、寛永3年(1626年)から近世的な梯郭式城郭を再建
日本の歴史公園100選にも選定

上田城(上田城跡公園)

1583(天正11)年、真田昌幸が築城した上田城。現在の城郭は真田氏の次に上田藩主となった仙石忠政によって江戸時代初期に復興されたもの。城跡は現在、ケヤキ並木が囲む「上田城跡公園」として整備されています。関ヶ原合戦の際に、徳川秀忠率いる大軍

小諸城|日本100名城

所在地:長野県小諸市丁311
築城年:長享元年(1487年)、天文23年(1554年)
築城者:大井光忠、武田信玄
主な城主:武田信玄、仙石秀久、松平憲良、青山宗俊、酒井忠能、西尾忠成
史跡:国の名勝(史跡指定なし)
遺構・文化財:大手門、三の門が現存しともに国の重要文化財
備考:信玄の軍師だった山本勘助が縄張りしたとも伝えられ、11の丘と12の谷で構成され、大手門から本丸へと下り道となる珍しい「穴城」
藩政時代には小諸藩の藩庁
文豪・島崎藤村の『千曲川旅情のうた』、「小諸なる古城のほとり 雲白く遊子悲しむ」で知られ、水の手展望台にはその詩碑も立てられています
園内には小諸市児童遊園地、小諸市動物園もあり、日本の歴史公園100選にも選定

懐古園(小諸城址)

小諸駅の西側に位置する懐古園は、小諸城の城跡。信玄の軍師だった山本勘助が縄張りしたという小諸城は、城下町よりも一段低い位置に築かれた珍しい「穴城」。11の丘と12の谷で構成される19万平方メートルの広大な城跡公園となっており、春は桜の名所、

松本城|日本100名城

所在地:長野県松本市丸の内4-1
築城年:永生元年(1504年)
築城者:小笠原貞朝、小笠原秀政、石川数正・康長親子
主な城主:小笠原貞朝、小笠原秀政、石川数正、松平康長
史跡:国の史跡
遺構・文化財:天守は国宝
備考:5層天守閣としては現存する日本最古の城で国宝で、現存12天守の中では唯一の平城
内堀の幅も、当時の鉄砲が天守閣側から届く距離(55〜60m)で、鉄砲や矢を放つ狭間(さま)も117ヶ所設けられるという戦国時代の実戦的な様子を今に伝えています
藩政時代には松本藩の藩庁
日本の歴史公園100選にも選定

国宝松本城

5層天守閣としては日本最古の城。築城は1504(永生1)年ですが、5層天守閣となったのは1593〜1594(文禄2〜3)年のこと。鉄砲や矢を放つ狭間(さま)も117ヶ所も設けられ、実戦を意識した設計であることがよくわかります。本丸、二の丸一

高遠城|日本100名城

所在地:長野県伊那市高遠町東高遠
築城年:不明
築城者:不明、武田信玄が改修
主な城主:武田信玄、武田勝頼、仁科盛信(信盛)、小山田昌成、保科正直、内藤清枚
史跡:国の史跡
遺構・文化財:石垣などが現存
備考:戦国時代には武田信玄の伊那・三河への進出の拠点で、藩政時代には高遠藩の藩庁
タカトオコヒガン1500本が植栽された桜の名所で(明治8年に旧藩士が馬場にあった桜を移植したのがルーツ)、日本さくら名所100選に選定
日本の歴史公園100選にも選定

高遠城址公園

高遠城(たかとおじょう)は、武田氏が伊那侵攻の拠点とした城。江戸時代に入り、上伊那の城の大半が廃されましたが、明治維新まで大名の居城として残されました。城跡には、1500本のコヒガンザクラが植えられ、全国でも屈指の桜の名所で、「日本さくら名

龍岡城|続日本100名城

所在地:長野県佐久市田口
築城年:文久3年(1863年)
築城者:松平乗謨(まつだいらのりかた)
主な城主:松平乗謨
史跡:国の史跡
遺構・文化財:御台所櫓が現存
備考:三河国奥殿藩(奥殿陣屋=愛知県岡崎市奥殿町)の第8代藩主・松平乗謨が、内陸部の信州に本拠を移し、西洋式の城郭として函館の五稜郭同様に星形(五芒星形)の城郭を築城
ヴォーバン式城郭(フランスのリール市の星形の堀をもつ城郭ヴォーバン城)がモデルです
幕末には龍岡藩の藩庁(厳密には城でなく陣屋)
佐久市立田口小学校の校庭で(そのため学校敷地内は見学不可)、校庭に隣接して御台所櫓が現存

【信州の城】信州にもあった!五稜郭 龍岡城五稜郭|佐久市

五稜郭(ごりょうかく)は、幕末に箱館(現在の北海道函館市)郊外に建造された西洋式(稜堡式)の城郭。函館を代表する観光スポットで、明治維新の際に官軍と旧幕府軍の攻防でも有名です。ところが、日本にはもうひとつ、五稜郭があります。それが長野県佐久

高島城|続日本100名城

所在地:長野県諏訪市高島
築城年:慶長3年(1598年)
築城者:豊臣秀吉の家臣・日根野高吉(ひねのたかよし)
主な城主:日根野高吉、諏訪頼水
史跡:諏訪市の史跡
遺構・文化財:本丸堀と石垣のみ現存し、本丸隅櫓などが復元
備考:諏訪湖を巧みに生かし、難攻不落を誇った水城で、「諏訪の浮城」と呼ばれた名城で、日本三大湖城の一つに数えられましたが、江戸時代の諏訪湖の干拓で往時の面影はありません
藩政時代には諏訪藩(高島藩)の藩庁

高島城

高島城

慶長3年(1598年)、豊臣秀吉の家臣・日根野高吉(ひねのたかよし)が築城した諏訪藩(高島藩)藩庁が高島城。諏訪湖を巧みに生かし、難攻不落を誇った水城で、「諏訪の浮城」と呼ばれました。日本三大湖城の一つに数えられましたが、江戸時代の諏訪湖の

長野県七大名城とは!?
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