天正寺仁科氏館跡(東側外堀跡・土居跡)

天正寺仁科氏館跡(東側外堀跡・土居跡)

長野県大町市の大町市街中心部にある戦国時代、仁科氏の居館跡(現・天正寺)周辺に残された遺構が東側外堀跡・土居跡。大和の古代豪族・阿部氏が姫川上流の信濃安曇地方に居を構えて仁科氏を称し、鎌倉時代に大町に館を築いたのが現在の天正寺一帯。中世城郭の規模は、東西186m、南北120mという大規模なもので、2重に堀を巡らせていました。

大町市にある仁科氏館跡の外堀を見学

天正寺仁科氏館跡(東側外堀跡・土居跡)

外堀の幅も11mというかなりの規模で、居館(平城)としては防備が強固であったことが容易に推測できます。
土居は堀を掘った時の土で盛り土したもので、堀の内側に巡らせていました。
現在は水田と単なる凹地と化した外堀ですが、往時には裏御所川が引き込まれていたと推測されています。

仁科氏直系の最後の当主・仁科盛政を武田信玄は暗殺し、自らの五男を仁科盛信として名門の家督を継がせて上杉氏に対峙しています。
山城としては木崎湖畔に仁科城(森城)で守りを固め、前線の城と居館で上杉謙信への備えとしたのです。
その仁科盛信も信玄亡き後に、織田信長軍に高遠城で敗れ、仁科氏は滅亡。
仁科盛政の家臣らによって、居館跡に創建されたのが天正寺です。

天正寺仁科氏館跡(東側外堀跡・土居跡)
名称 天正寺仁科氏館跡(東側外堀跡・土居跡)/てんしょうじにしなしやかたあと(ひがしがわそとぼりあと・どいあと)
所在地 長野県大町市大町
電車・バスで JR信濃大町駅から徒歩20分
ドライブで 長野自動車道安曇野ICから約26km
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
天正寺(仁科氏居館跡)

天正寺(仁科氏居館跡)

長野県大町市、大町市街地の西端に位置する曹洞宗の寺、天正寺。大和の古代豪族・阿部氏が姫川上流の信濃国・安曇地方に居を構えて仁科氏を称し、鎌倉時代に大町に館を築いたと伝えられますが、その仁科氏居館跡が現在の天正寺一帯。戦国時代には、信玄の信濃

天正寺仁科氏館跡(東側外堀跡・土居跡)

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