長野県下諏訪町、諏訪大社下社春宮(すわたいしゃしもしゃはるみや)の脇を流れる、砥川(とがわ)沿いの畑のなかに鎮座する阿弥陀仏が、万治の石仏(まんじのせきぶつ)。高さ2m、どっしりとした椀形をした石の上に、小さな愛らしい頭をのせている。「万治3年11月1日」と刻まれていることがその名の由来です。
岡本太郎が絶賛した不思議な石仏
高さ2m60cm、幅3m80cm、奥行きが3m70cmという不思議なフォルムで、「イースター島のモアイ像に似ている」と感じる人も。
昭和49年、諏訪大社の『御柱祭』を見学に訪れた岡本太郎は、定宿(「シモスワのボクんちは温泉つきだ」)だった「みなとや旅館」の小口惣三郎(おぐちそうざぶろう)さんに案内されて、万治の石仏へ。
万治の石仏を前にした岡本太郎は、カメラを持つ手がぶるぶると震えるほどに感動。
「世界中歩いてみたがこんな面白いの始めて」と絶賛したのです。
この不思議な石仏ですが、明暦3年(1657年)、父・諏訪忠恒(すわただつね)の死去により跡を継いだ信濃高島藩・3代藩主諏訪忠晴(すわただはる)が、諏訪大社下社春宮に石の大鳥居を奉納しようとした時のこと。
命を受けた石工がこの地にあった大きな石を用いようとノミを打ち入れた際、なぜか石から血が流れ出たのです。
驚き恐れた石工は大鳥居の造作を中断、この不思議な石で阿弥陀仏を刻み、霊を納めながら建立したのだと伝えられています。
諏訪大社下社春宮の大鳥居は諏訪忠晴寄進という伝承がありますが、延宝3年(1675年)造立と推定されることから、諏訪忠恒没後です。
ひょっとすると、諏訪忠晴が寄進しようとた石材が万治の石仏に転用され、鳥居の造立が延期となったのかもしれません。
万治の石仏 | |
名称 | 万治の石仏/まんじのせきぶつ |
所在地 | 長野県諏訪郡下諏訪町5828 |
関連HP | 下諏訪観光協会公式ホームページ |
電車・バスで | JR下諏訪駅から徒歩25分 |
ドライブで | 中央自動車道岡谷ICから約5km |
駐車場 | 諏訪大社下社春宮駐車場(10台/無料)を利用 |
問い合わせ | 下諏訪観光協会 TEL:0266-26-2102/FAX:0266-27-1339 |
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