尖石石器時代遺跡・与助尾根遺跡

尖石石器時代遺跡・与助尾根遺跡

長野県茅野市豊平、茅野市尖石縄文考古館の北側に位置するのが、与助尾根遺跡。縄文時代中期の集落遺跡で、車道(縄文の道)を隔てた南側には有名な尖石遺跡(とがりいしいせき)で、一帯が国の特別史跡・尖石石器時代遺跡です。与助尾根遺跡には6軒の住居を復元し、縄文のムラを再現しています。

縄文時代中期(5000年前~4000年前)の遺跡

尖石石器時代遺跡・与助尾根遺跡

特別史跡「尖石石器時代遺跡」は史跡公園として整備され、与助尾根遺跡があるのは、与助尾根地区。
与助尾根遺跡は、昭和21年、諏訪教育会から遺跡発掘の指導を依頼された宮坂英弌(みやさかふさかず=尖石縄文考古館初代館長)が、縄文時代のムラ全体を発掘する目的で調査した遺跡で、諏訪地方の高校生の間で縄文ブームが誕生し、茅野市尖石縄文考古館の名誉館長を務めた戸沢充則(とざわみつのり=旧制中学在学中、土器と出会ったことが考古学研究の始まり、平成24年没)明治大学名誉教授・学長などを輩出しています。

尖石地区は芝生の広場なので、史跡見学としては与助尾根地区がおすすめです。
中期後半に同時に存在していたと推測できる住居6棟を、建築家・堀口捨己(ほりぐちすてみ=明治大学に建築科をを創設)が設計して復元。
縄文時代の主食とも言えるクリなどが植えられ、縄文のムラ、縄文の森を再現しています。

縄文時代に同時に建っていた可能性のある住居は6軒なので、与助尾根遺跡なら縄文時代のムラを実感できるというわけです。

尖石石器時代遺跡・与助尾根遺跡
名称 尖石石器時代遺跡・与助尾根遺跡/とがりいしせっきじだいいせき・よすけおねいせき
所在地 長野県茅野市豊平南大塩
関連HP 茅野市公式ホームページ
電車・バスで JR茅野駅からアルピコ交通メルヘン街道バスで20分、尖石縄文考古館前下車
ドライブで 中央自動車道諏訪ICから約11km
駐車場 尖石縄文考古館駐車場(70台/無料)を利用
問い合わせ 茅野市文化財課 TEL:0266-76-2386/FAX:0266-76-2700
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
尖石石器時代遺跡・尖石遺跡

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