山村代官屋敷

山村代官屋敷

長野県木曽郡木曽町福島、中山道(なかせんどう)・木曽路の中心、木曽福島に残る江戸時代の木曽代官所の遺構が、山村代官屋敷。現存するのは享保8年(1723年)再建の下屋敷の一部と庭園のみですが(上屋敷は隣の福島小学校の敷地)、貴重な資料とともに往時の代官の地位と暮らしぶりがよくわかります。

木曽谷の支配と福島関所の関守を世襲した山村家の屋敷

江戸時代、尾張藩の所領だった木曽。
木曽氏の家臣で浪人だった山村良勝(やまむらよしかつ)は、関ヶ原の合戦で、徳川秀忠の中山道の先導役を務め、苗木城、岩村城から西軍を追い出すなど活躍。
江戸時代になると、尾張藩主・徳川義直に仕えて山村宗家として美濃国の恵那郡・土岐郡・可児郡における中山道沿いの村々4600石の知行地を有し、木曽代官となったのです(代々尾張藩の重臣として明治維新を迎えています)。

木曽代官は、中山道でもっとも重要視された福島関所の関守を兼ねるという要職に就いていたので「木曽の殿様」と呼ばれるほどの地位にあり、立派な屋敷を構えていました。
尾張藩の木曾代官所であると同時に、木曽谷にある山村家知行地の支配所という役割を担っていました(美濃国側の知行地は、山村家の中津川代官所が支配)。

第9代木曽代官で漢詩人の山村蘇門(やまむらそもん)は、浅間山噴火が原因の天明の飢饉の際、領内を巡視して救済にあたり、木曽では多くの人々が餓死を免れたといわれています。

明治3年に屋敷の大部分が取り壊されているため、現存する屋敷は、下屋敷のごく一部。
12代・山村良禎(やまむらたかのり)の書斎「看雨山房」(かんうさんぼう)を中心とした数室で、「城陽亭」(じょうようてい)と称されています。

木曽駒ヶ岳と永田山を借景とする寛政12年(1800年)作庭の池泉回遊式庭園も見事で、「木曽谷の大名庭園」といった趣があります。
館内には山村家ゆかりの書画や調度品、復元された饗応料理のレプリカが展示されています。

福島関所資料館などとともに日本遺産「木曽路はすべて山の中 ~山を守り 山に生きる~」の構成文化財にもなっています。
福島関所資料館と共通入館券も用意。

山村代官屋敷
名称 山村代官屋敷/やまむらだいかんやしき
所在地 長野県木曽郡木曽町福島5808-1
関連HP 木曽町公式ホームページ
電車・バスで JR木曽福島駅から徒歩15分
ドライブで 中央自動車道伊那ICから約30km
駐車場 10台/無料
問い合わせ 山村代官屋敷 TEL:0264-22-3003
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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山村代官屋敷

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