長野県白馬村、姫川に流れ込む白馬連峰を源とする松川の合流点の西側、標高713mの小高い丘が城山。南北に延びる尾根を中心に中世の山城、塩島城(しおじまじょう)の城跡となっています。築城時期は不明ですが、戦国時代には安曇野を支配した仁科氏(にしなし)に仕える塩島氏の居城で、ここが武田・上杉対立の最前線にもなっていました。
戦国時代、塩島氏の居城で武田軍の攻撃で落城
塩島城は、南に松川、東に姫川を臨む断崖という天然の要害に位置し、西には重要な交易路だった糸魚川と大町・松本を結ぶ千国街道(塩の道)が通っています。
四ヶ庄平(現在の白馬村の古称)を俯瞰し、掌握する絶好の地であることがよくわかります。
弘治元年(1555年)、武田信玄家臣の山県昌景(やまがたまさかげ)の攻撃を受け、飯森城などとともに落城。
時の塩島城主・塩島勝雄は、武田信玄に恭順を示しますが、塩島城内に戦の備えがあるのが発覚。
神城村(現・白馬村)飯田に在陣中の山県昌景は、塩島勝雄を正命寺に呼び出し、謀略によって殺害し、夜襲をかけて塩島城と日光寺などの寺を焼き払うまでしています。
塩島勝雄の弟・塩島祐輝は越後に逃れて上杉謙信を頼りますが、後に塩島家は武田信玄から旧領地を安堵されています。
塩島城跡には、主郭、二の郭、三の郭などの曲輪の跡、空濠、馬場跡、日光寺跡などがあり、北出口駐車場を起点に塩島城跡遊歩道が整備されています。
塩島地区は鬼無里へと続く善光寺道と千国街道の交差点。
近くの専念寺には石仏群も残されています。
塩島城 | |
名称 | 塩島城/しおじまじょう |
所在地 | 長野県北安曇郡白馬村北城 |
電車・バスで | JR信濃森上駅から徒歩7分で、塩島城跡遊歩道北出口駐車場 |
ドライブで | 上信越自動車道長野ICから約47.6km |
駐車場 | 塩島城跡遊歩道北出口駐車場(無料)を利用 |
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