【マンホールで知る町自慢】軽井沢町

軽井沢町のマンホールのモチーフになっているのは、噴煙たなびく浅間山です。白樺の白い樹皮と緑の葉がデザインされ、中央に軽井沢のシンボルともなる浅間山が描かれています。

軽井沢のシンボル浅間山

浅間山
今も噴煙を上げる浅間山
浅間山は標高2568mの活火山。気象庁の「常時観測火山」に指定された一峰です。
「常時観測火山」とは「火山監視・警報センターにおいて火山活動を24時間体制で監視している火山」のこと。

浅間山の噴火は、古くは『日本書紀』にも記され、天武天皇14年(686年)が初出(この年の噴火に関しては新潟焼山、焼岳などの説もありますが)。
以降平安時代末期の天仁元年(1108年)、 大治3年 (1128年)など、数々の噴火の記録が残っています。

天明3年(1783年)旧暦7月8日の大噴火は、江戸三大飢饉に数えられる、天明大飢饉を招いたとされ、北東側の鎌原村(かんばらむら)などに溶岩流、火砕流を流出させ大変大きな被害をもたらしました。
「常時観測火山」として今もなお、活動する浅間山。最近では平成27年6月16日、6月19日にも小規模な噴火が発生し、噴火レベルが「2」(火口周辺規制)に引き上げられています。

明治19年に軽井沢を訪れ、軽井沢を避暑地として広めた外国人宣教師アレクサンダー・クロフト・ショーや、外国人別荘族たちが、テーブルマウンテン(Table Mountain)と呼んでピクニックに出かけた離山(はなれやま)も浅間山の寄生火山(側火山)です。

歴史に度重なる噴火を記した浅間山ですが、その火山活動によって、浅間山は雄大な姿が形成され、四季折々に美しい周辺の景観を生み出し、軽井沢の象徴となっています。

軽井沢から眺めた浅間山
軽井沢から眺めた浅間山。山腹に今話題のハート型も!

マンホールに描かれるのが白樺の理由は!?

白樺(シラカンバ、学名:Betula platyphylla)は、カバノキ科カバノキ属の落葉樹。冷涼な気候を好むことから、高原のイメージの強く、白い樹皮が印象的な樹木です。
マンホールには、特徴的な樹皮の白樺が林のようにデザインされています。

軽井沢町によれば「軽井沢の林のほとんどがカラマツの人工林」とのことで、第二次大戦後、盛んにカラマツの植林をおこなった結果、別荘地とその周辺には見事なカラマツ林が形成されています。浅間山の山腹には、天然のカラマツ林が広がり、その結果カラマツのイメージの強い町になっているのです。

軽井沢の「町の木」は軽井沢では4月下旬から5月上旬にかけて開花するコブシですが、コブシもマンホールには描かれていません。

リゾートとか、高原のシンボルとして扱われる白樺は、実は火山灰に覆われた浅間高原でも日当たりの良い土地にアカマツと並んで最初に生える樹木。
標高1000mくらいからが生育に最適な環境で、軽井沢でも少し山側に入れば、美しい白樺林に出会うことができます。

白樺といえば、皇后・美智子様のお印が、「白樺」。
かつて「軽井沢のテニスコートで芽生えた恋」といわれたのが、今上天皇(当時は皇太子だった明仁親王)と美智子様のラブストーリー。昭和32年8月、おふたりは軽井沢会のテニスコートで、初テニス。
このテニスがきっかけで、聖心女子大学の学生だった美智子様は、お妃候補に入り、昭和33年、11月27日、おふたりの結婚が皇室会議において満場一致で可決されるのです。

皇后美智子様のお印が白樺なのは天皇・皇后両陛下の出会いの場だった軽井沢にちなんでのこと。浅間山を取り囲むのが白樺なのには、そんな深い理由が(たぶん)隠されているのです。

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(一社)プレスマンユニオン事務局長。 全国を取材するかたわら、デザインマンホールに注目しています。なぜなら、そこには郷土の自慢が凝縮されているから。何気ない足下のマンホールが、実は地域活性にとって重要な役割を担っていることから、ウエブマガジン「マンホールStyle」を運営中です!