危ういものの代名詞として歌枕としても知られる木曽の桟(きそのかけはし)。 長野県木曽郡上松町の木曽川沿いに続く、中山道(なかせんどう)の難所。松尾芭蕉の「桟橋や命をからむ蔦葛(つたかずら)」(『更科紀行』)など、多くの文人によって歌が詠まれてきました。木曽川沿いの古道には、断崖に設けられた桟道もあったのが名の由来です。
中山道屈指の難所で、木曽川の断崖に桟道が続いた
「木曽の桟、太田の渡し、碓氷峠がなけりゃよい」といわれた中山道の難所、木曽の棧。
棧(かけはし)とは断崖にへばりつくように築かれた参道のこと。
平安時代末期の『今昔物語集』にもその名が登場しますが、近世では豊臣秀頼の命で改修され、江戸時代には通行人の松明により焼失したため、翌年の正保5年(1648年)には、この地を治めた尾張藩が大規模な修復工事を行なっています。
断崖部分を長さ102m、幅6.7m、高さ13mの石垣で補強し、その上に3つの木橋を架橋。
その後も補修が行なわれていますが、明治44年の宮ノ越駅〜木曽福島駅間の中央線延伸開業により、石垣のみとなっています。
現在では旧国道19号の下部に石垣だけが残るので、対岸の駐車場からのみ見学が可能。
桟部分は現代の国道でも落石事故の危険などがあったため、平成26年3月29日、対岸にかけはしトンネル、あげまつ大橋で抜ける新ルート(国道19号)が完成しています。
木曽の桟の対岸に建つ「桟温泉旅館」(単純二酸化炭素冷鉱泉)は日帰り入浴、昼食なども可能。
松尾芭蕉『更科紀行』と木曽の桟
松尾芭蕉は、更科姨捨(さらしなおばすて)で月を見ようと岐阜から中山道を美濃路、そして木曽路に入ります。
貞享5年8月13日(1689年9月16日)、妻籠宿を出立し、福島宿を目指します。
なんと木曽路45kmを歩くという行程で、夕方近くに石垣造りとなった木曽の桟を通っています。
「桟橋や命をからむ蔦葛」から、尾張藩の改修工事で通りやすくなった後でも命がけだったという難所ぶりがわかりますが、もうひとつ芭蕉は「桟橋や先づ思い出づ駒迎へ」という句を残しています。
この「駒迎へ」は、諸国から献上された馬を8月15日に天皇が紫宸殿前で謁見した儀式のこと。
つまり、名馬として知られた木曽馬(在来馬)も朝廷に献上する際に、この木曽の桟を通ったんだということを「先づ思い出づ」(真っ先に思い出した)と記しているのです。
貞享5年8月13日(1689年9月16日)、妻籠宿を出立し、福島宿を目指します。
なんと木曽路45kmを歩くという行程で、夕方近くに石垣造りとなった木曽の桟を通っています。
「桟橋や命をからむ蔦葛」から、尾張藩の改修工事で通りやすくなった後でも命がけだったという難所ぶりがわかりますが、もうひとつ芭蕉は「桟橋や先づ思い出づ駒迎へ」という句を残しています。
この「駒迎へ」は、諸国から献上された馬を8月15日に天皇が紫宸殿前で謁見した儀式のこと。
つまり、名馬として知られた木曽馬(在来馬)も朝廷に献上する際に、この木曽の桟を通ったんだということを「先づ思い出づ」(真っ先に思い出した)と記しているのです。
木曽の桟 | |
名称 | 木曽の桟/きそのかけはし |
所在地 | 長野県木曽郡上松町上松 |
関連HP | 上松町公式ホームページ |
ドライブで | 中央自動車道伊那ICから約35km、中津川ICから約54km |
駐車場 | 2台/無料(明治天皇聖蹟碑前) |
問い合わせ | 上松町産業観光課 TEL:0264-52-2001/FAX:0264-52-1038 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |