浅間山を眺望する北軽井沢(群馬県長野原町)の標高1300m内外に広がる総面積約798haという本州屈指の広大な育成牧場が浅間牧場(正式名は群馬県営の浅間家畜育成牧場)。明治16年、北白川宮能久親王(きたしらかわのみやよしひしんのう)が馬の放牧場として開場したのが始まりという歴史ある牧場です。
明治16年、軍馬の放牧場として開場
浅間牧場の前身となる馬の放牧場を開場した北白川宮能久親王は、幕末の戊辰戦争では旧幕府軍について参戦。
上野戦争で寛永寺を脱出後には東北へ転戦し、奥羽越列藩同盟の盟主に擁立されています。
明治時代になるとプロイセン(後のドイツ帝国)に留学後、陸軍で活躍しています。
富国強兵時代に、軍服(ウール生地)の原料となる緬羊毛の供給不足から、明治13年、内務省勧農局畜産課は用地の調査を進めた結果、浅間山麓の六里ヶ原が妥当と結論しています。
当時、大日本農会会頭だった北白川宮能久親王が、土地の払い下げを受け、大久保利通の提案で開場した下総牧羊場(下総御料種畜牧場)から羊の供給を受けることに。
ここで、北白川宮能久親王は軍馬の必要性から、羊の放牧を取りやめ、牡馬1頭、牝馬20頭の払下げを受け、馬の放牧場となったのです(牧場は北白川宮能久親王没後に、吾妻牧場会社、さらに草軽軽便鉄道の所有にとなっています)。
軍馬の育成をもとにした牧場は、昭和6年に群馬県畜産連合会が管理するようになり、国の馬産振興政策もあって、戦前には1000頭を放牧した年もあったとのこと。
昭和27年に群馬県営牧野「浅間家畜育成牧場」となっています。
浅間牧場遊歩道を使って牧場内を散策
現在では毎年、群馬県内酪農家から預かるホルスタイン種500頭ほどを放牧しています(放牧は4月下旬~10月下旬)。放牧は80区画になる牧区を2~3日のペースで順番に変えていくから東京ドーム約200個分という広大なエリアでは牛を探すのもままなりません。
観光牧場ではないので見学はできませんが(伝染病予防のため一部地域を除いて立ち入り禁止となっており、牧場内への車の乗り入れも不可)、放牧期間中は事務所横のふれあい牧場に数頭の子牛が配されています。
また牧場内を歩く浅間牧場遊歩道(浅間牧場白糸の滝ハイキングコース)も整備され、入口の浅間牧場茶屋から徒歩8分で「丘を越えて」歌碑、徒歩45分で標高1343.9mの天丸山展望台に到達します。
牧場内を歩行する際にも靴底の消毒を念入りに(家畜伝染病の発生防止のため、駐車場出入口に車両消毒槽と消石灰帯、遊歩道に消毒マットが設置されています)。
昭和6年に発表された新興映画『姉』の主題歌で、藤山一郎が歌って大ヒットとなった戦前の名曲『丘を越えて』は、もともと「ピクニック」という明治大学マンドリン倶楽部のマンドリン合奏曲として古賀政男が作曲したもの。
それに島田芳文が自身の山荘近くにあった浅間牧場の風景を描いて詞を書き上げたもの。
昭和27年公開の日本初の総天然色映画『カルメン故郷に帰る』(監督:木下恵介、主演:高峰秀子)のロケ地にもなっています。
東京でストリッパー「カルメン」(高峰秀子)として成功した娘は実は北軽井沢の牧場の出身という設定。
木下恵介監督は『カルメン故郷に帰る』を含め、『わが恋せし乙女』(昭和21年/主演:井川邦子)、『破戒』(昭和23年/主演:池部良)、『善魔』(昭和26年/主演:淡島千景)の4作品を、この北軽井沢を中心とした浅間高原で撮影されています。
浅間牧場は、浅間山北麓ジオパークのジオサイトにもなっています。
浅間牧場 | |
名称 | 浅間牧場/あさまぼくじょう |
所在地 | 群馬県吾妻郡長野原町北軽井沢2032-23 |
関連HP | 群馬県公式ホームページ |
ドライブで | 上信越自動車道碓氷軽井沢ICから約28km |
駐車場 | 第1駐車場(30台/無料)・第2駐車所(19台/無料) |
問い合わせ | 群馬県浅間家畜育成牧場 TEL:0279-84-2074/FAX:0279-84-4344 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |