長野県小布施町(おぶせまち)にある文明4年(1472年)開基の曹洞宗の古刹が岩松院(がんしょういん)。本堂の天井に描かれた『八方睨大鳳凰図』(はっぽうにらみほうおうず)は、北斎晩年に描いた実に21畳という大きさの大作。北斎が小布施に残した作品のなかでも必見の傑作で、本堂で静かに座って鑑賞する仕組み。
北斎が描いた巨大な天井絵の華麗な美しさは圧巻
『八方睨大鳳凰図』は、極彩色豊な岩絵具を使い、その岩絵具の金額は当時150両との記録が残されています。
岩松院の天井画を描いたのは北斎88歳の時。
この後、北斎は江戸に戻り、すべての仕事をやり終えたかのように90歳でこの世を去っています。
北斎は「70歳までに描いたものは実にとるに足らない。73歳でようやく禽獣虫魚(きんじゅうちゅうぎょ)の骨格や草木の出世を悟り得た」(『冨嶽百景』)と記しています。
『富嶽三十六景』を出版したのは75歳。
北斎のパワーにあやかるためにも天井画をぜひ鑑賞しましょう。
平成13年に絵具の剥離、剥落の補修が実施され、さらに毎年、専門家による調査が行なわれています。
貴重な文化財ゆえに、その保護という観点から撮影、飲食、喫煙は禁止。
小林一茶の有名な句「痩せ蛙まけるな一茶これにあり」は、文化13年(1816年)、病弱な初児、千太郎への命乞いの気持ちを込めて境内で詠んだ句。
一茶が千太郎の生後20日ほどの時に岩松院に来訪し、池のヒキガエルの合戦を見て詠んだと伝えられます。
願いは通じず、千太郎は生後1ヶ月あまりでこの世を去っています。
なお、岩松院は、法要や『釈尊涅槃会』など行事の際は拝観不可のこともあるので注意が必要。
霊廟には、遺骨が埋葬され、左遷状や太閤葬儀行列張などが納められています。
福島正則は、元和5年(1619年)、台風による水害で破壊された広島城の本丸・二の丸・三の丸の石垣の修築を幕府に無断で行なったとして、安芸・備後50万石は没収、信濃国川中島四郡中の高井郡と越後国魚沼郡の4万5000石(高井野藩)に減転封されていました。
寛永元年(1624年)、高井野(長野県高山村)で死去、岩松院に葬られています。
岩松院 | |
名称 | 岩松院/がんしょういん Ganshoin Temple |
所在地 | 長野県上高井郡小布施町雁田615 |
関連HP | 岩松院公式ホームページ |
電車・バスで | 長野電鉄小布施駅から徒歩30分、またはタクシーで8分 |
ドライブで | 上信越自動車道小布施スマートICから約4km |
駐車場 | P1〜3駐車場(25台/無料、P2駐車場は積雪時は閉鎖) |
問い合わせ | 岩松院 TEL:026-247-5504/FAX:026-247-6560 |
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取材・画像協力/長野県観光機構