雲場池

雲場池

長野県軽井沢町、ホテル鹿島ノ森の敷地内にある、御膳水(ごぜんすい)に源を発する小川が堰き止められ、大きな池になったのが、雲場池(くもばいけ)。軽井沢黎明の時代、外国人別荘族にスワンレイクと呼ばれたように、今も渡りの季節には白鳥が姿をみせます。雲場池から上流へ川沿いに10分ほど歩けば清冽な水が湧く御膳水です。

カラマツや白樺に囲まれた清涼スポット

その南北に細長い形状からデーランボー(ダイダラボッチなど各地で呼び名の異なる伝説の巨人)の足跡という伝説があるのが雲場池。
堰き止めたともいわれていますがもともとの池、湿地が堰堤でさらに大きくなったもの。

大正4年、東京日本橋の貿易商・野澤組の野澤源次郎は、軽井沢の離山から三度山にかけての広い一帯に川田龍吉、肥田濱五郎らの所有する160万坪もの土地を譲り受け、さらに周辺の土地を購入、一帯100万坪を富裕層向けの別荘地として開発。

宮内省侍医・青山胤道(あおやまたねみち)博士のすすめで、前年に軽井沢で療養した経験から、保養地として目をつけたのです。
野澤源次郎の別荘地は、細川護立(ほそかわもりたつ=肥後熊本藩主を務めた細川家の第16代当主、侯爵)、徳川慶久(とくがわよしひさ=徳川慶喜の七男、公爵)、ダニエル・ノーマン(Daniel Norman=カナダ人宣教師、軽井沢避暑団の世話役で「軽井沢の村長さん」と呼ばれる)、大隈重信(おおくましげのぶ=大正3年に内閣総理大臣就任)らが購入。

雲場池

紅葉の名所としても有名!

雲場池

明治44年の地図にはすでに雲場池は記されており、外国人別荘族たちもスワンレイク(Swan Lake)と呼び習わしていたことから、この池に堤を築き、さらに規模を拡大したのが野澤源次郎だったと推測できます。
野澤源次郎が雲場池を拡大したのは、夏の水泳場、冬季におけるスケート場としたかったから(野澤源次郎は別荘地にプールも築いています)。
外国人別荘族が雲場池をスワンレイクと呼び、離山をその形状からテーブルマウンテン(Table Mountain)と呼び習わしてピクニックに使っているのを目にし、園地的な池に整備したのでしょう。

現在の雲場池は、人慣れしたカモ類の天下ですが、池の北側ではクレソンなど水生、湿生の植物も観察できます。
池畔には一周20分の遊歩道も整備されていますが、時間が許せば御膳水へと足を伸ばしましょう。

紅葉の名所でもあり、見頃は例年10月下旬~11月上旬頃。

雲場池
名称 雲場池/くもばいけ
所在地 長野県北佐久郡軽井沢町六本辻
関連HP 軽井沢町公式ホームページ
電車・バスで JR・しなの鉄道軽井沢駅から徒歩25分。または、タクシーで5分
ドライブで 上信越自動車道碓氷軽井沢ICから約12kmで町営旧軽井沢駐車場、駐車場から徒歩20分
駐車場 町営旧軽井沢駐車場(412台/有料)
問い合わせ 軽井沢町観光経済課 TEL:0267-45-8579/FAX:0267-46-3165
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

【信州の池】「スワンレイク」と呼ばれた雲場池|軽井沢町

軽井沢を代表する景勝地が雲場池。軽井沢を避暑地として見出した外国人別荘族たちは、この小さな池をスワンレイク(Swan Lake)と呼びならし、お隣にそびえる離山とともにピクニックの場にしていました。別荘族を気取って、スワンレイクからハナレス

御膳水

御膳水

長野県軽井沢町、旧二條家別荘(現在のホテル鹿島ノ森)に湧出する水が御膳水。長尾の涼泉とか、お水端と呼ばれることもある、軽井沢を代表する名水。御膳水の名は、明治11年、明治天皇が北陸・東海道巡幸の際、この湧水を使った食事を召し上がったことに由

雲場池

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