島崎藤村は、明治32年、小諸義塾の教師として信州・小諸に招かれ、小諸で6年間暮らしています。この島崎藤村の小諸暮らしは、小説家になろうという決意をした時代で、「小諸時代」といわれるように一大転機となった重要な時期です。小諸で暮らした家は旧小諸藩の士族の屋敷。現在では佐久市の貞祥寺境内に移築され大切に保存されています。
大正9年に藤村の住んでいた家を佐久に移築
藤村の小諸時代の居宅は、かつての士族屋敷。棟続きの平屋建てで草葺き。
南側に主婦部屋、茶の間、台所、北側に書斎、書生部屋、納戸物置と続いていました。
大正9年、本間隆氏が小諸から佐久市前山南の自宅敷地内に移転。
どうして移築したかといえば、「消え去るのを惜しんで」が真相のようです。
本間邸の一部として使用した後、藤村生誕100年を迎えた昭和47年、佐久市が本間氏より寄贈を受け、昭和49年に貞祥寺境内に、移築復元されています。
「2回の移転と、移築先の土地の状況などで若干の手直しがされ藤村が居宅としていたものとは間取など少し異なる」(佐久市観光交流推進課)とのことです。
現在は8畳の書斎と居間、和室2室(8畳・10畳)からなり、資材にはその当時のものが使われています。
佐久と藤村はまったく無関係というわけではありません。
『破戒』(明治39年3月/自費出版)に登場する市村代議士のモデルといわれる立川雲平(明治法律学校=現・明治大学出身の政治家、弁護士/北佐久郡岩村田町今宿居住)を頻繁に訪問し、そのたびに東隣の「佐久ホテル」に宿泊しています。
立川雲平は、衆議院議員で佐久地方の自由民権運動を指導者でした。
島崎藤村旧宅 | |
名称 | 島崎藤村旧宅/しまざきとうそんきゅうたく |
所在地 | 長野県佐久市前山1380-3 |
関連HP | 佐久市公式ホームページ |
電車・バスで | JR佐久平駅からタクシーで15分 |
ドライブで | 中部横断自動車道佐久南ICから約5km |
駐車場 | あり/無料 |
問い合わせ | 佐久市観光交流推進課 TEL:0267-62-3285 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |