第53回志賀高原大蛇祭り・ミス志賀高原コンテスト|山ノ内町|2019

志賀高原の大沼池に住むといわれる大蛇と黒姫の物語にちなんだイベントが『大蛇祭り』。花火の打ち上げや、大蛇のお嫁さんを選ぶ「ミス志賀高原コンテスト」も実施されます。

初日に大沼池で「大蛇の湖上渡り」の儀式が行なわれます

 

初日の「大蛇の湖上渡り」会場となる志賀高原・大沼池
初日の「大蛇の湖上渡り」会場となる志賀高原・大沼池
 

初日が『入魂祭』で、大沼池で「大蛇の湖上渡り」の儀式が行なわれます。
2日目は、志賀高原の中心、蓮池で「ミス志賀高原コンテスト」参加のミス志賀高原候補者紹介、「おこみん」の仲間が集まる『キャラクター大集合』、花火打ち上げなど。
最終日が本祭で、蓮池でのミス志賀高原コンテスト、大蛇おねり(丸池出発)、『キャラクター大集合』。

土・日曜にはフードコーナーも設置されます。

大沼池で「大蛇の湖上渡り」の儀式
大沼池で「大蛇の湖上渡り」の儀式

  

志賀高原大沼池の大蛇伝説

あまり知られていませんが、志賀高原山の駅(旧ロープウェイ蓮池駅舎)近くに、大蛇神社が鎮座しています。年に一度の大蛇祭りで使用される「大蛇」はこの神社に祀られています。
大沼池に棲む大蛇は独身。戦国時代のある時、信濃中野の中野城(高梨氏館)の城主・高梨政盛(上杉謙信の曽祖父)の娘、黒姫を見初めます。
二人は互いに惹かれあい、恋をしました。高梨政盛は娘を大蛇の妻にしたくないため城の周りに刀を置き、馬に乗った政盛を追って城を7周したら黒姫を嫁にやると約束。
血みどろになって息絶え絶えの大蛇はこれが謀だったことを知ります。志賀高原に戻った大蛇は、一族郎党の手を借りて雨雲を呼び、暴風雨を起こし、さらに四十八池の水を落として大水で中野城を流そうとしました。
濁流から難を逃れた小館城から、すっかり流された城下をみて悲しんだ黒姫は、事態を収束しようと決意し、ひとり大沼池に身を投げました。

夜間瀬川の氾濫が伝説を生んだ!?

江戸時代編纂の『信濃奇勝録』、大正11年発行の『下高井郡誌』には大蛇が棲むのは「沓野川(夜間瀬川)上流の岩倉池」とあり、日本最高所のホタル観賞地といわれる石の湯には岩倉沢川が流れ込んでいます。ちなみに大沼池は志賀山から噴出した溶岩によって川がせき止められた天然の池。

夜間瀬川はたびたび氾濫し、下流部には洪水による流路変更で流失した集落がありました。たとえば、中野扇状地の北半分を占める平岡地区にある竹原集落は高社山麓にあり、夜間瀬川の洪水による流路変更で流失し現在の位置に移ったといわれています。間長瀬(まながせ)集落は夜間瀬川の氾濫でできた砂地の瀬が多いことからつ付いた名前。洪水による村落消滅後、寛永年間再開発されています。そんな洪水による集落の消失の歴史が黒姫と大蛇の伝説を生んだのだと推測できます。

大沼池へは大沼池バス停(清水口)から徒歩1時間30分
大沼池へは大沼池バス停(清水口)から徒歩1時間30分
大沼池の畔にある赤い鳥居は弁財天の鳥居
大沼池の畔にある赤い鳥居は弁財天の鳥居
伝説の舞台のひとつ高梨氏館跡(長野県中野市小舘)
伝説の舞台のひとつ高梨氏館跡(長野県中野市小舘)

 

第53回志賀高原大蛇祭り・ミス志賀高原コンテスト|山ノ内町|2019
開催日 2019年8月23日(金)~8月25日(日)
所在地 長野県下高井郡山ノ内町平穏7148
場所 大沼池、蓮池、丸池、志賀高原総合会館98周辺
関連HP 志賀高原観光協会公式ホームページ
電車・バスで 長野電鉄湯田中駅からバス35分、徒歩5分
ドライブで 上信越自動車道信州中野ICから約25km
問い合わせ 志賀高原観光協会 TEL:0269-34-2404
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

大沼池

2020年6月16日
 

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