サイトアイコン 信州Style

雨境峠・与惣塚

雨境峠・与惣塚

古代の東山道は、蓼科山の肩を越えていました。それが長野県立科町の雨境峠(あまざかいとうげ)。標高1580mの峠で、与惣塚(よそうづか)は、旅人が蓼科山を見上げて祈りを捧げた祭祀遺跡で、古代から近世初頭まで祈願が行なわれていた場所です。長野県道40号(諏訪白樺湖小諸線)が峠を越えているのでドライブ途中の立ち寄りに絶好。

古代の官道、東山道途中、蓼科山を遥拝した地

古代に大和朝廷が東国支配のために開いた官道が東山道。
その東山道以前に使われたのが古東山道で、美濃国(現在の岐阜県南部)から恵那山肩の神坂峠(みさかとうげ)を越えて信濃国(長野県)に入り、杖突峠(つえつきとうげ)を越え諏訪から大門峠(現・白樺湖畔)、そして雨境峠を経て、佐久平から入山峠を越えて毛野国(群馬県)、さらに陸奥国へと通じていました。

後に善知鳥峠(うとうとうげ/現・塩尻市)・保福寺峠(ほうふくじとうげ/現・松本市と上田市)経由のルート(東山道)へと変更になりますが、当初は佐久平・望月に牧(まき=官営の牧場)があったこともあり、雨境峠を越えていたのです。

長野県道40号諏訪白樺湖小諸線沿いの雨境峠から蓼科第二牧場一帯には、5~6世紀頃の祭祀遺跡、鳴石(なるいし=6~7世紀頃に蓼科の神を祀る祭祀の場として設置された2個の巨岩)、鍵引石(かぎひきいし=石の上に神の降臨を願った遺跡)、勾玉原(まがたまはら)などがあります。

昭和41年の発掘調査で与惣塚周辺から神に奉祀した滑石製の勾玉、臼玉、剣有孔、円板、古銭、銅板、釘などが発掘され、一帯の原は勾玉原と呼ばれています。
峠といっても蓼科山・竜ヶ峰から派生する尾根の乗り越し(標高1580m)で、車で走っていると峠という実感はありません。
しかしながら古墳時代などには、街道の難所である神坂峠や、道中の最高点である雨境峠は、道中の安全を必死に祈願する「神まつりの里」だったと推測できます。

雨境峠・与惣塚
名称 雨境峠・与惣塚/あまざかいとうげ・よそうづか
所在地 長野県北佐久郡立科町芦田八ケ野
ドライブで 中央自動車道諏訪ICから約30km
駐車場 10台/無料
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

蓼科第二牧場

長野県立科町にある蓼科牧場は、女神湖・ゴンドラリフトシャトルビーナス周辺の蓼科第一牧場(蓼科ふれあい牧場)と、長野県道40号(諏訪白樺湖小諸線)沿いの蓼科第二牧場に分かれています。面積が広いのが蓼科第二牧場。県道沿いに「牛乳専科もうもう」も

牛乳専科もうもう

長野県立科町、女神湖と小諸を結ぶ長野県道40号諏訪白樺湖小諸線沿いにある蓼科第二牧場隣接の乳製品直売所が牛乳専科もうもう。ジョッキ牛乳、アイスクリーム、濃厚なソフトクリーム、手作りパンなどが販売され、牧場を眺めながら店内で味わうことも、外に

鳴石

長野県立科町の女神湖と小諸市街を結ぶ長野県道40号(諏訪白樺湖小諸線)沿いにある蓼科第二牧場近くにある鏡餅のように重なった2個の巨石が鳴石(鏡石とも呼ばれています)。雨境峠から鳴石へと通じる長野県道40号は、ヤマト王権と東国を結んだ古代の東

蓼科神社里宮

長野県北佐久郡立科町芦田、白樺湖・女神湖と小諸を結ぶ 長野県道40号(諏訪白樺湖小諸線)沿いにある古社が、蓼科神社里宮(たてしなじんじゃさとみや)。古代から信仰の対象だった蓼科山ですが、山頂には蓼科神社奥宮(本宮)が鎮座し、山麓の

蓼科神社里宮・神代杉

長野県北佐久郡立科町芦田、蓼科神社里宮の参道入口に立つ巨杉が、神代杉(じんだいすぎ)。目通り10m、樹高39mで、推定される樹齢は1500年という老木。神仏習合時代の江戸時代には、高井大明神(蓼科神社の旧称)の御神木として小諸藩から保護され

モバイルバージョンを終了