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信州中野は中野さんのルーツ!

信州に中野さんのルーツがあるんだとか。
それが、信州中野と通称される中野市。志賀高原などへの旅行する機会があるなら、中野さんはぜひお立ち寄りを!

信州中野は中野さんの貴重なルーツだ

長野電鉄信州中野駅。駅名にも中野さんの歴史が込められています
 

信濃国高井郡中野郷(現・長野県中野市)を発祥とする藤原秀郷流中野氏は、鎌倉初期のの建久3年(1192年)に藤原(中野)助廣が中野西条・志久見郷地頭職になる(『将軍家政所下文』/長野県立歴史館/下の画像)などかなり勢力を持っていました。

やがて京で起きた応仁の乱後、在地領主が対立する戦国時代の風潮は北信濃にもやってきます。中野氏は永正10年(1513年)頃、高梨氏に追われて没落。
高梨氏はくぬぎ原から中野に本拠を移し中野小館跡に居館を移したと推測されます。
中野氏の居城は中野小館(なかのおたて)とも、高梨氏館とも呼ばれています。

高梨氏は第一次川中島合戦では長尾景虎(上杉謙信)についてこの地を安堵されますが、永禄2年(1559年)に海津城を拠点とした春日弾正軍の急襲で落城。高梨政頼は飯山城に逃れました。
その後、本能寺の変が勃発し、ようやく旧地を回復。慶長3年(1598年)、上杉景勝に従って会津へ去り高梨氏館は廃城となります。

現在の地名は、長野県中野市小舘で、「高梨館跡公園」(中野市小舘4丁目/TOPの画像)として公園化されています。
発掘調査では、門跡一棟、礎石建物跡5棟、掘立柱建物7棟、庭園跡などが確認されています。
「高梨館跡公園」の周囲には空濠・土塁が残り、庭内に稲荷社・井戸跡・庭石なども残されていますが、残念ながらこれは、中野氏時代ではなく、高梨氏時代のものです。

それでも今も信州中野と、地名には中野一族の歴史が誇らしげに込められています。


↑源頼朝から藤原(中野)助廣を中野西条・志久見郷地頭職を任じる書面(長野県立歴史館蔵)

■詳細は
ニッポン旅マガジンの中野さんのルーツを探せ!をお読み下さい。

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