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天正寺(仁科氏居館跡)

天正寺(仁科氏居館跡)

長野県大町市、大町市街地の西端に位置する曹洞宗の寺、天正寺。大和の古代豪族・阿部氏が姫川上流の信濃国・安曇地方に居を構えて仁科氏を称し、鎌倉時代に大町に館を築いたと伝えられますが、その仁科氏居館跡が現在の天正寺一帯。戦国時代には、信玄の信濃侵攻の拠点ともなった地で、天正寺北側には水壕の跡も残されています。

安曇野の名族・仁科氏の居館跡

仁科氏は、安曇野の領主として最後の城主・仁科盛信(にしなもりのぶ=武田信玄の五男で、仁科氏の名跡を継承)まで10代以上にわたり、ここを本拠に繁栄しました。
天正10年(1582年)、仁科盛信が伊那高遠城で織田軍と戦って滅びた後、その菩提を弔って居館跡に菩提寺の長性寺を移して天正院を創建。
山号の青龍山は仁科氏直系の最後の当主・仁科盛政の法号「青龍寺殿」に由来しています(仁科盛政の死後、武田信玄は政略的に五男・仁科盛信を養子縁組させて仁科家の当主にしています)。

城門形式の山門は、元禄元年(1688年)築で、その他の現存する本堂や庫裏、開山堂、鐘楼などの伽藍は江戸時代後期に建てられたもの。

木崎湖畔にある仁科城(森城)は、仁科氏の居城で、上杉氏と対峙する武田氏の前線基地としても機能していました。
平時の居館(現・天正寺)と使い分けていたのです。

仁科盛信は長野県の県歌『信濃の国』に「旭将軍義仲も 仁科の五郎信盛も春台太宰先生も 象山佐久間先生も皆此国の人にして 文武の誉たぐいなく山と聳えて世に仰ぎ 川と流れて名は尽ず」と歌われています。

天正寺(仁科氏居館跡)
名称 天正寺(仁科氏居館跡)/てんしょうじ(にしなしきょかんあと)
所在地 長野県大町市大町4729
関連HP 大町市公式ホームページ
電車・バスで JR信濃大町駅から徒歩20分
ドライブで 長野自動車道安曇野ICから約26km
駐車場 20台/無料
問い合わせ 天正寺 TEL:0261-22-1212
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

天正寺仁科氏館跡(東側外堀跡・土居跡)

長野県大町市の大町市街中心部にある戦国時代、仁科氏の居館跡(現・天正寺)周辺に残された遺構が東側外堀跡・土居跡。大和の古代豪族・阿部氏が姫川上流の信濃安曇地方に居を構えて仁科氏を称し、鎌倉時代に大町に館を築いたのが現在の天正寺一帯。中世城郭

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