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「日本の農業限界地」、標高1500mの乗鞍高原で栽培される特産品とは!?

これ以上寒い場所では、営農はできないという場所が、農業限界地。世界の農業限界地は、ヒマラヤ山脈ですが、日本の農業限界地は、北アルプス・乗鞍岳の長野県側山服の乗鞍高原です。初夏の6月に残雪の乗鞍岳を眺めに高原に行くと、出会うのは美しいソバの花。そのソバ畑が農業限界地です。

農業限界地で産するソバは「番所そば」として珍重される!

周囲は白樺林で6月にはワラビも(採取はできません)

ヒマラヤ山脈は北麓のチベットではヤクの牧畜、オオムギの栽培などが行なわれていますが、やはり農業限界地に植えられるのはソバ。
ソバガキの一種を常食としながら細々と暮らす村などもありますが、標高2500mくらいが限界地となっていました(近年では農業改良や日本の技術指導などで3000m超えでも稲作など農業が営まれるようになっています)。

日本国内では、1000mくらいの高原が通常の農業限界地。
木曽の開田高原、北信の戸隠高原などがソバの産地として名高いのは、「火山灰土の霧下」というソバづくりの条件に最適なこともありますが、実は農業限界に近く、ソバしか育たないことが大きな要因。
周囲が白樺林というような土地では、気候的にも営農は難しく、ソバを栽培したとしても、収穫は1回に限られます。

乗鞍高原のソバは、地名を取って「番所(ばんどこ)そば」といわれ、松本市内などのそばの名店でもブランド品として扱われますが、農業限界地で栽培されるソバは、ストレスが大きく、これを熱を持たないように石臼で挽くことで香り高いそば粉が生まれるのだと推測できます。

乗鞍高原一帯は、江戸時代には松本藩の藩有林で木こりなど杣人(そまびと)の世界。
明治維新後、藩の御用杣(ごようそま)としての特権を失ったことで、農業へと転じますが、高原のワラビの根を使ったわらび粉、狩猟、そしてソバの栽培に舵を切ったのです(明治10年、わらび粉150俵、干しわらび50俵を産出)。

大正時代に梓川の水力発電などが始まると(当初は大正池の水を利用した発電でした)、カラマツの植林なども始まり、道路の整備とともに、出荷体制が生まれると炭焼きなども行なわれるようになりました。

戦後は、夏の林間学校も開設され、観光化も進み、昭和47年に上高地乗鞍林道が開通すると、ペンションなども建ち並ぶ開発が行なわれ、今では乗鞍岳の長野県側の基地、夏の避暑地、そして温泉地としても人気があります。

そんな乗鞍高原で、今も変わらないのが特産のソバ。
「そば処いがや」、「そば処中之屋」などで日本の農業限界地で栽培された玄ソバを使った手打ちそばを味わうことができます。
そば好きなら、手打ちそばが自慢の宿に泊まるのもおすすめです。

「日本の農業限界地」、標高1500mの乗鞍高原で栽培される特産品とは!?
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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