サイトアイコン 信州Style

【現役日本最古の国道トンネル】 明通トンネル

明通トンネル

長野県小県郡青木村、松本市の境にある青木峠。その青木峠を国道143号が越えていますが、峠部分は明通トンネルで通り抜けています。明治23年3月開通という歴史ある隧道(トンネル)で、国土交通省も「現役日本最古の国道トンネル」と認定しています。

開通時には乗合馬車が上田と松本を結んで運行

クネクネ道は馬車道時代の名残り

昭和51年10月31日に三才山トンネル有料道路(令和2年9月1日、無料開放)が開通する以前は、峠付近では道幅も狭く少し酷道のイメージがある国道143号が上田と松本を結ぶ幹線ルートでした。
もともとは中世〜近代に地蔵峠越えとも称されて、上田城下と松本城下を結ぶ交易路でした。

令和7年度以降、延長4.3kmの青木峠バイパスが着工される見込みですが、それが完成すると新トンネルで青木峠の下を抜けるので、旧道と旧トンネルは廃道化する可能性も(完成予定はまだ未定です)。

明通トンネル(明通隧道)は、明治21年9月、長野県の大規模公共事業「七道開削事業」(しちどうかいさくじぎょう=「道路県令」と呼ばれた大野誠が推進した事業)の第一路線(碓氷峠越え)に続く第二路線として着工し、明治23年3月に完成。
総延長は95mですが、明治初年、ヨーロッパから近代的なトンネル掘削技術が導入され、こうしたトンネルが築かれるようになりました。
それでもなるべく全長を短くしようとしたことで、クネクネ道で青木村側で標高1020m、松本市側で1040mまで登っています。

なぜ青木峠を越える道路が開削されたのかといえば、その背景は製糸業の繁栄があり、繭(まゆ)や蚕糸を輸送する必要性(馬車交通による輸送)が増大したためです。
七道開鑿事業の最大規模の改修工事となったため、県内に砂防などを築いたオランダ人技師ヨハニス・デ・レーケも改修案と自身の現場調査を比較し、「維持管理を考えて新道を建設すべき」と提言、その結果、新道として開削されています。

開削後には馬車による物資輸送だけでなく、上田〜松本間には篠ノ井線開通までの間、乗合馬車も運行されています(鉄道の開通で重要性が失われています)。

現在の明通トンネルは、大幅に改修されて抗口もレンガではなくコンクリートで覆われていますからレトロな雰囲気はありません。
それでも高さは3.5mしかないため、高さ制限に引っかかる大型車は、遠回りを余儀なくされています。

ちなみに長野県の資料では現在の明通トンネルの通行量は1日400台程度とのこと。
台数的にはやはり酷道的な雰囲気が漂っています。

松本市側の抗口
【現役日本最古の国道トンネル】 明通トンネル
名称 明通トンネル/あけどおしとんねる
所在地 長野県小県郡青木村田沢〜東筑摩郡筑北村東条
ドライブで 長野自動車道筑北スマートICから約11km、上信越自動車道上田菅平ICから約29km
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
モバイルバージョンを終了