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龍岡城五稜郭の通用門を移築! 成田山薬師寺

黒船来航で風雲急を告げる幕末に、信州・佐久に築かれた星形の城郭。有名な函館の五稜郭(ごりょうかく)と並び、日本に2つしかない星形城郭の龍岡城五稜郭ですが、城郭内に現存する遺構は御台所櫓のみ。ところが探してみると、ありました! 東通用門が参道にぴんころ地蔵のある成田山薬師寺に、大広間が時宗寺本堂に移築されています。

門の横にはぴんころ地蔵が安置

 
慶応3年(1867年)、龍岡藩主・松平乗謨(まつだいらのりかた)によって築城された龍岡城。

幕府は当時に城を新たに造ることを禁止していましたが、幕府の重要な職である若年寄(老中に次ぐ重職)ということもあって、西洋の軍楽に関心を寄せていた松平乗謨は特別に許可をもらい、ヴォーバン式城郭(フランスのリール市の星形の堀をもつ城郭ヴォーバン城をモデルとした城郭)の龍岡城を建築しました。

築城直後に明治維新へと進む戊辰戦争が始まり、堀は三稜堡を巡らせるだけで、南西と西側二稜堡を囲む270mは未完成の状態で廃城となっています。建物も瓦は全部準備されながら1割ほど使っただけにとどまっています。

資金不足もあって実際に完成したのは藩主の政務と住居をかねた龍岡城御殿や大手門、御台所櫓、東通用門などです。
このうち龍岡城御殿や大手門は破却されています。

実は、今佐久で売出中のぴんころ地蔵は、薬師寺の山門(龍岡城東通用門)を守護するように建てられています。
毎月第2土曜には山門市も開催されています。

成田山薬師寺

 
成田山薬師寺
名称 成田山薬師寺/なりたさんやくしじ
所在地 長野県佐久市原467
電車・バスで JR小海線中込駅から徒歩15分
ドライブで 上越自動車道佐久平ICから約7km
駐車場 野沢商店街駐車場(無料)を利用
問い合わせ 成田山薬師寺 TEL:0267-62-0559
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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