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小諸城黒門を移築! 正眼院|小諸市

小諸城の本丸の入口を守る最後の砦となる門が、黒門(一ノ門・一ノ御門)。その黒門を移築保存するのが小諸の正眼院(しょうげんいん)です。格調高い薬医門ですが、小諸城には現在礎石が残るのみです。慶長17年(1613年)、初代小諸藩主・仙石秀久が起工して、仙石忠政の治世に完成した門で、明治4年正眼院に移築されました。

 

最後の小諸藩主・牧野康済から小諸城の一ノ門を譲り受ける!

運が良くなる寺だけあって本堂前に巨大なお釈迦様が!

小諸藩の第10代(最後)の藩主・牧野康済(まきのやすまさ)は、正眼院に参詣した際に、23世素広大船和尚を相手に囲碁を楽しんだという。逆に大船和尚が小諸城登城の際には、駕籠で三ノ門、二ノ門を入り、一ノ門まで乗り入れを許されていたのだとか。
牧野康済は明治2年12月、版籍奉還で小諸藩知事となりますが、明治4年7月の廃藩置県で藩知事を免官され、東京に暮らすようになります。
その際、懇意にしていた正眼院の素広大船和尚に城で最も大事な一ノ門を譲ったというのが寺伝です。

正眼院は「運の良くなる寺」といわれ、後一条天皇(在位1016年〜1036年)の勅願仏として、定朝(じょうちょう=平安時代後期の仏師)自刻の釈迦牟尼仏を本尊として創建。
天台宗25代、臨済宗3代を経て、明応3年(1494年)、平原城主(平原城=長野県小諸市平原にあった中世の城)・依田全真が天英祥貞(てんえいしょうてい)禅師を呼んで中興。

天文18年(1549年)、武田信玄の平原城攻めの際、兵火により諸堂は焼失。現存する本堂は宝暦11年(1761年)の再建。

正願院では毎週土曜に坐禅会、毎月第3土曜に写経会を実施しています。

小諸城内にあったときには穴太衆(あのうしゅう)が積んだ石垣が左右に

 
正眼院
名称 正眼院/しょうげんいん
所在地 長野県小諸市八満624
関連HP 正眼院公式ホームページ
電車・バスで JR・しなの鉄道小諸駅からタクシーで15分
ドライブで 上信越自動車道小諸ICから約7km。または、中部横断自動車道佐久北ICから約4km
駐車場 20台/無料
問い合わせ 正眼院 TEL:0267-22-3095/FAX:0267-25-4515
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
 
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