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第82回藤村忌(花と歌を捧げるつどい)|小諸市|2024

2024年8月22日(木)9:30~11:15、長野県小諸市の懐古園(小諸城跡)で『第82回藤村忌』。小諸ゆかりの文豪・島崎藤村(しまざきとうそん)は、昭和18年(1943年)8月22日没。命日にあたる8月22日に、藤村文学の愛好者らが藤村記念館前に集い、花や歌を捧げて、その遺徳を偲んでいます。

藤村の転機となった「小諸時代」を偲び藤村ファンが集まる!

筑摩県第八大区五小区馬籠村(長野県を経て現在は岐阜県中津川市馬籠)に生まれた島崎藤村は、1881年(明治14年)、上京して泰明小学校(現・東京都中央区銀座5丁目)に通います。
明治学院普通部本科(明治学院高校の前身)を卒業後、20歳の時、明治女学校高等科英語科教師に。

1899年(明治32年)、 木村熊二が開いた私塾「小諸義塾」の英語教師として長野県小諸町(現・小諸市)に赴任し、以後6年過ごしています。

この藤村の小諸での生活は、北海道函館区(現函館市)出身の秦冬子と結婚し、翌年には長女・みどりが誕生、さらに写生文『千曲川のスケッチ』を記し、「情人と別るるがごとく」詩との決別を図っています。
藤村にとっては一大転機となったことから、「小諸時代」と呼ばれています。

藤村が教師を務めた時代の小諸義塾は、 小諸駅南(現在跡地の碑が立っています)にありました。
また往時の小諸義塾の建物は「小諸市立小諸義塾記念館」として移築復元されています。

小諸義塾の塾長・木村熊二の書斎で、藤村らと語り合った「水明楼」は、島崎藤村ゆかりの宿「中棚荘」によって往時のままに管理されています。

藤村ゆかりの宿「中棚荘」の玄関から見上げた「水明楼」

『藤村忌』(花と歌を捧げるつどい)が行なわれるのは、懐古園(小諸城址)内の藤村記念館の前庭(雨天時は旧寅さん会館地階「やすらぎ会館」)。
講話・献句、献歌・草笛・献花などが行なわれますが、参加の場合は、懐古園に入園する必要があります。

懐古園内の水の手展望台には「小諸なる古城のほとり 雲白く遊子(いうし)悲しむ」で知られる『千曲川旅情の歌』詩碑も立っています。

藤村記念館前に立つ島崎藤村像。地元・小諸の彫刻家・内堀功氏の作品
第82回藤村忌|小諸市|2024
開催日時 2024年8月22日(木)9:30~11:15
所在地 長野県小諸市丁315
場所 小諸市立藤村記念館(懐古園内)
関連HP 小諸市公式ホームページ
電車・バスで JR・しなの鉄道小諸駅から徒歩5分
ドライブで 上信越自動車道小諸ICから約3kmで懐古園駐車場
駐車場 懐古園駐車場(213台/有料)
問い合わせ 小諸市立藤村記念館 TEL:0267-22-1130/FAX:0267-22-1130
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

小諸で島崎藤村はここに住んでいた!(島崎藤村旧栖地)

文豪・島崎藤村(しまざきとうそん)は、明治32年、小諸義塾の教師として信州・小諸に招かれ、小諸で6年間暮らしています。結婚、3人の娘の誕生、「物を見る稽古」のために『千曲川のスケッチ』を書き記し始めた頃です。そして『破戒』の執筆活動と、藤村

懐古園(小諸城址)

小諸駅の西側に位置する懐古園は、小諸城の城跡。信玄の軍師だった山本勘助が縄張りしたという小諸城は、城下町よりも一段低い位置に築かれた珍しい「穴城」。11の丘と12の谷で構成される19万平方メートルの広大な城跡公園となっており、春は桜の名所、

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