長野県千曲市、戸倉上山田温泉の背後、千曲川との比高220mの山上に築かれた戦国時代の連郭式山城が、荒砥城(あらとじょう)。長尾景虎(上杉謙信)に与した村上義清と、武田晴信(武田信玄)の攻防の地で、武田軍を二度にわたって撃退した城です。現在は城山史跡公園として整備され、中世山城が復元されています。
二の郭にある井楼櫓は、展望施設としても機能
荒砥城は、信州攻略を図る武田晴信(武田信玄)と、越後の長尾景虎(後の上杉謙信)を頼った村上義清との攻防の地。
川中島にも近く、まさに武田と上杉の最前線にあった山城です。
信濃侵攻を図る武田軍は荒砥城攻略を目指しますが、二度にわたって失敗。
天文22年(1553年)、村上義清の根城だった葛尾城(かつらおじょう/現・埴科郡坂城町)が調略によって落城したため、荒砥城に火を放ち、村上義清は越後へと落ち延びています。
村上義清は、領地奪還を目指しますが、それに加勢したのが長尾景虎。
こうして川中島の合戦で両雄が対決するという歴史が生まれたのですが、そのきっかけとなったのが、この荒砥城の落城です。
川中島の合戦は天文22年(1553年)から12年の間、5回を数えていますが、荒砥城は要衝として両軍の攻防の地となり、目まぐるしく領有が変わっています。
荒砥城の本郭部分は標高590m、尾根沿いに二の郭、三の郭、四の郭と続いています。
千曲市と麻績村(おみむら)を結ぶ長野県道498号(聖高原千曲線)沿いにある駐車場に車を入れ、入口の案内所(有料施設のため、入園料を払います)・門横にあるのが四の郭です。
そこからS字を描いた坂道を登ると三の郭で、さらに坂を登り詰めた先に矢倉門が復元されていますが、ここから先が二の郭。
いよいよ主要な部分で、立派な櫓(井楼櫓)がそびえ、復元された建物で最大規模の兵舎があり、記念撮影に絶好の場所です。
郭周囲を取り囲む柵もいかにも戦国時代の城郭を使える仕様で、タイムスリップしたかのような雰囲気です。
奥側の門を出ると、いよいよ本郭。
ここにも立派な門があり、難攻不落ぶりを感じ取ることができます。
本郭には兵舎と城館(城主の館)が再現されています。
この戦国仕様の城郭は、平成19年放映の『風林火山』では佐久海ノ口城(長野県南佐久郡南牧村)に見立て、武田晴信(後の武田信玄)初陣のシーンのロケに、平成22年放映の『江~姫たちの戦国~』では浅井長政(あざいながまさ)の居城・小谷城(滋賀県長浜市の小谷山にあった山城)に見立てて、その落城シーンに使われています。
ちなみに荒砥城は、1995年、合併前の上山田町の「ふるさと創生事業」で、足助城(あすけじょう/愛知県豊田市)などをモデルに再現した中世の城館。
当時はコンクリートの天守を復元するのが全盛で、中世の城館を復元した希少な例となっています。
かつて荒砥城跡には遊園地・動植物園があり、山麓からロープウェイが架かっていました(平成2年に廃止)。
そのため、掘割などの遺構は現存していません。
信玄と謙信攻防の地に、戦国時代の山城を復元! 荒砥城(千曲市) | |
名称 | 荒砥城(千曲市)/あらとじょう(ちくまし) |
所在地 | 長野県千曲市上山田城山3509-1 |
関連HP | 千曲市公式ホームページ |
電車・バスで | JR戸倉駅からタクシーで10分 |
ドライブで | 上信越自動車道坂城ICから約9km |
駐車場 | 15台/無料 |
問い合わせ | 城山史跡公園管理棟 TEL:026-275-6653 |
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