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軽井沢が避暑地となった最大の理由は「夏の霧」、その発生メカニズムとは!?

避暑地・軽井沢の歴史は、明治時代、中山道の寂れた宿場町を、宣教師アレクサンダー・クロフト・ショーが避暑地として見出したことに始まります。その後、明治、大正時代に避暑地として発展を遂げています。ショーが、避暑地として選んだ最大の理由は、霧が多くて涼しい夏。その理由を探ります。

軽井沢の霧は、「摩周湖の霧」の発生メカニズムに似ている

軽井沢ショー記念礼拝堂とショーの胸像

アレクサンダー・クロフト・ショー(Alexander Croft Shaw)はカナダ出身の宣教師(イギリス領だったトロントで生誕)。
ルーツはスコットランドの城をもつ名家で、トロントがイギリス領だったこともあって、スコットランド人で、故郷・スコットランドに似た気候という記述も目にしますが、ショー自身は、スコットランドを知りません。

明治18年、当時リウマチに悩まされていたショーは、軽井沢に魅せられ、中山道・軽井沢宿の奥まった場所に教会(軽井沢ショー記念礼拝堂)を設立、それがきっかけで寂れた宿場町に多くの西洋人が訪れるようになったのです。

軽井沢は、長野県内の気象データでも、山岳地帯を除いてもっとも涼しい場所ですが、その最大の理由は、夏には日常的に発生する霧。
軽井沢の霧日数は、おもに夏を中心に、年間100日以上。
とくに8月は3分の2は霧があるというくらいです。

この霧が、紫外線をカモフラージュしてくれることで、西洋人(当時はおもに白人)は、軽井沢を避暑に最適な土地だと考えたのです。

ではどうして夏場を中心に軽井沢に霧が多いのか。
実は、その発生のメカニズムは「摩周湖の霧」に似ています。
摩周湖の霧は、太平洋の湿った風が、釧路湿原で温められ、その風が摩周外輪山にぶつかって、上昇する際に冷却され、霧が生まれるのです。

同様に、軽井沢も関東平野の湿った空気が、碓氷峠の急峻な地形に沿って上昇、冷却されて霧となるもの。
旧碓氷峠(中山道の峠)は、避暑地の西洋人たちはサンセットポイントと名付けて、夕日を楽しむ場所にしていましたが、日中は霧に包まれ、日没頃にようやく晴れて、日没を鑑賞できる場所と考えていたのです。

日本人の別荘も多く建てられていますが、地元の不動産会社の話では、「実は夏場は湿気対策に悩まされる」という側面も。
苔が覆い、シダが茂る別荘地は美しくもありますが、じつは湿気が多い証なんだとか。

それでもそんな湿気の多さよりも、強い日差しを回避できることが当時の西洋人にとって大切だったようで、メインストリートで買い物をする明治時代の西洋人の女性は、ちゃんを日傘で紫外線から身を守っているのです。

避暑地・軽井沢を夏に訪れる際は、霧による寒さ対策をぜひ。

夏はこんな景色が日常です
軽井沢が避暑地となった最大の理由は「夏の霧」、その発生メカニズムとは!?
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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