関山神社

関山神社

妙高山は奈良時代の和銅元年(708年)に裸行上人が開山したと伝えられており、明治初年の神仏分離、廃仏毀釈までは聖観世音菩薩、十一面観世音菩薩、文珠菩薩が祀られ、妙高山関山三社大権現と称していました。現存する関山神社の社殿は別当・関山宝蔵院の15世院主・薩海(さっかい)が10年をかけて文化5年(1808年)に再建。

妙高山の山岳信仰の中心となったパワースポット

明治維新までは別当(神社を管理する寺)として関山宝蔵院、奥の院として妙高堂がありましたが、廃仏毀釈で廃寺となり、関山神社社殿の北に旧関山宝蔵院庭園(国の名勝)として名を残しています。
中世には妙高山山岳信仰の中核となり、妙高五山(関の庄:妙高山、神奈山、茶臼山、火打山、不動山)は関山宝蔵院、関山神社の所領として、許可が無ければ入山禁止というほどの権限を有していました。
平安時代後期に源義仲(木曽義仲)、戦国時代に上杉謙信も戦勝祈願に訪れています(謙信奉納と伝わる「龍旗」が現存)。

上杉謙信没後の後継者を巡る、御館の乱の戦火で、天正6年(1578年)、往時の堂宇は焼失しています。
江戸時代には、徳川家康の意向もあったのか、天海大僧正の弟子・大僧都俊海(上杉謙信の甥)が再興しています。
7月に行なわれる『火祭り』は、修験道の伝統を継承したもので、「仮山伏の棒使い」は戦国時代、修行僧が戦乱から神社を守るため、武術を身に着けたことが始まりとされ、新潟県の無形民俗文化財に指定されています。

銅造菩薩立像(どうぞうぼさつりゅうぞう)は国内最古級の渡来仏(7世紀頃)とされ、国の重要文化財。

関山神社
7月の『火祭り』で披露される「仮山伏の棒使い」

 

関山神社
名称 関山神社/せきやまじんじゃ
所在地 新潟県妙高市関山4804
関連HP 妙高市観光協会公式ホームページ
電車・バスで えちごトキめき鉄道妙高はねうまライン関山駅から徒歩20分
ドライブで 上信越自動車道妙高高原ICから約8.7km
駐車場 10台/無料
問い合わせ 妙高市観光案内所 TEL:0255-86-3911/FAX:0255-86-3450
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
関山神社

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