【避暑地の散歩道】サンセットポイント(旧碓氷峠見晴台)

軽井沢の夏の冷涼な気候を避暑地として見出したカナダ生まれのスコットランド人宣教師、アレクサンダー・クロフト・ショー(Alexander Croft Shaw)。明治20年代以降に多くの外国人がその誘いで軽井沢に別荘を建てますが、外国人別荘族がサンセットポイント(sunset point)と呼んだのが旧碓氷峠の見晴台。

サンセットポイントは群馬と長野の県境に位置

サンセットポイントは群馬と長野の県境に位置

外国人避暑客は好みの場所に素敵なネーミングを

なぜ、旧碓氷峠の見晴台が避暑地のピクニック先に選ばれたのかといえば、峠まで中山道が通じていたから。明治15年には碓氷峠に新道(現在の国道18号旧道=めがね橋経由の道)が開通し、改良が進められて中山道を通る人は激減していました。

別荘族は宿場としての機能を失った軽井沢宿周辺に別荘を構えていましたから、中山道を東京方面に歩けば、1時間少々で碓氷峠だったというわけなのです。

別荘族は軽井沢宿の中山道をメインストリート(mainstreet)と呼び習わし、水車のある裏通りを水車の道(waterweel road)と称したり、自分たちで好みの名前をつけています。このネーミングは、今の軽井沢にも残されています。

たとえば、サンセットポイントから日が沈む浅間山・小諸方面を眺めれば、眼前にあるテーブル状の山がテーブルマウンテン(table mountain)といった具合。この山、正式名は離山で、その名の通り、浅間山の側火山。

さてさて、サンセットポイントからは、群馬側を眺めると幾重にも連なる見事な山並み。ギザギザが印象的な山が妙義山です。
そして軽井沢側の東屋からは、浅間山、離山を眺望。
軽井沢側が太陽の沈む側です。

軽井沢町側から浅間山とはなれやま離山を眺望

軽井沢町側から浅間山とはなれやま離山を眺望

 

サンセットポイントは占領下に米軍も注目

このサンセットポイント一体は、現在見晴台と称する園地になっていますが、実はこの園地ができたのは大正7年(米騒動の年)。
名古屋の近藤友右衛門が、メインストリートの奥、二手橋の先から見晴台までの碓氷峠遊覧歩道とともに開発整備し、昭和32年に軽井沢町に寄付したもの。つまり、明治時代にはまだ園地にはなっていません。

初代・近藤友右衛門は、名古屋伝馬町に呉服・雑貨店「信友」(信濃屋友右衛門)を創設、「信濃屋」の屋号で文久2年(1862)、尾張藩の御用達となった人物。
2代目・近藤友右衛門は、明治37年に経営を引き継ぎ、大正6年に「株式会社信友商店」へ発展、軽井沢別荘地の開発にも携わりました。
かつてメインストリートに面してあった近藤長屋も、この近藤友右衛門が建てたもの。長屋というように、簡易店舗のスタイルで、別荘族相手に夏季のみ商売する店をこの長屋に誘致したのです。

話は脱線しましたが、現在では旧碓氷峠(熊野皇大神社・熊野神社)まで、長野県道481号峠町軽井沢線が通じています。
この道路も戦前はかなりの悪路でしたが、終戦直後に軽井沢の各ホテルを接収し、保養所としていた米軍(第8軍第97師団)が日本政府に道路改良を要望して砂利を入れるなどして道路改良されたもの。米軍もサンセットポイントの絶景を楽しんだのです。

見晴台にある近藤翁顕彰碑

見晴台にある近藤翁顕彰碑

近藤友右衛門が開いた見晴台

近藤友右衛門が開いた見晴台

旧碓氷峠見晴台 DATA

名称 旧碓氷峠見晴台/きゅううすいとうげみはらしだい
所在地 長野県北佐久郡軽井沢町峠町
電車・バスで JR北陸新幹線・しなの鉄道軽井沢駅北口から碓氷峠見晴台バス(通称・赤バス)で30分、見晴台下車、すぐ
ドライブで 上越自動車道碓氷軽井沢ICから40分
駐車場 10台/無料
問い合わせ 軽井沢町観光経済課TEL:0267-45-8579/FAX:0267-45-8579

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