【信州の温泉】別所温泉「石湯」は、真田幸村の隠し湯!?

別所温泉の外湯のひとつ、「石湯」。その玄関横に「真田幸村公 隠しの湯」という石柱が。別所4号源泉を利用するこの共同湯、はたして真田幸村(真田信繁)ゆかりの風呂なのでしょうか?

幸村が女忍者・お江と出会った温泉!

別所温泉の共同湯のひとつ「石湯」

信州の鎌倉といわれる塩田平・別所温泉ですから、古くから開けていたことは間違いありません。
別所温泉も天長2年(825年)には記録が残り、円仁(慈覚大師)が大師湯に入浴し、翌年北向観世音本堂を創建しています。
長徳2年の『枕草子』には「湯は、ななくりの湯。有馬の湯。玉造の湯」と記され、この「ななくりの湯」が別所温泉と推測されています。

さらに治承4年(1181年)には木曽義仲が大湯(葵の湯)入浴。
建治3年(1277年)、北条義政が大湯に入浴。北条湯の名が生まれます。
天正2年(1574年)、大湯に温泉社創建。
元和元年(1615年)、大坂夏の陣・大坂城落城、真田幸村父子戦死。
元和8年(1622年)、大湯、玄斉湯、お茶屋、藩主湯治利用施設となります。

というわけで、記録に残る限りは、真田幸村(真田信繁)の石湯入浴は確認できません。
では、なぜ堂々と「真田幸村公 隠しの湯」の碑が立っているのでしょう?
それは、池波正太郎の代表作『真田太平記』で、真田幸村と女忍者(くノ一)・お江が石湯の湯船で出会い、その後結ばれるというエピソードが記されているから。
池波正太郎は取材のためたびたび上田市や別所温泉を訪れ、代表作の一つとなった『真田太平記』に、石湯を幸村・お江出会いの場としたのです。
丁寧な取材で知られる池波正太郎ですから、『真田太平記』執筆の際にも上田・別所には足繁く通っています。
戦国時代には上田城主・真田氏とその家臣団が入湯していたという記録が残されているので幸村の入浴はあながち作り話でもなく、池波さんは確信していたに違いありません。
そして、だからこそ、「真田幸村公 隠しの湯」の碑文も池波正太郎直筆!
「硫黄がにおう湯煙の先に、お江(こう)の豊かな乳房が揺れる。」(『真田太平記』)。この時、幸村18歳・・・。
大河ドラマ『真田丸』は、三谷幸喜脚本(作)なので、残念ながらこの出会いのシーンはありません。

別所温泉では、木曾義仲と北条氏ゆかりの「大湯」、円仁慈覚大師が好んだ「大師湯」、真田の隠し湯「石湯」として外湯をPRしています。いずれも源泉掛け流し。
「酸化のないピュアな弱アルカリの温泉ですから美肌効果もあるので、女子旅にもおすすめ」(温泉ソムリエ・板倉あつし)とのこと。

石湯前の石碑の文字は池波正太郎直筆!

 

別所温泉石湯
名称 別所温泉石湯/べっしょおんせんいしゆ
所在地 長野県上田市別所温泉164
関連HP 別所温泉観光協会公式ホームページ
電車・バスで 上田交通別所線別所温泉駅から徒歩10分
ドライブで 上信越自動車道上田菅平ICから約17km
駐車場 別所温泉観光駐車場(有料)を利用
問い合わせ 別所温泉観光協会 TEL:0268-38-2642
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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