高遠城址公園

高遠城(たかとおじょう)は、武田氏が伊那侵攻の拠点とした城。江戸時代に入り、上伊那の城の大半が廃されましたが、明治維新まで大名の居城として残されました。城跡には、1500本のコヒガンザクラが植えられ、全国でも屈指の桜の名所で、「日本さくら名所100選」、「日本100名城」、「日本の歴史公園100選」に選定。

戦国時代には武田信玄が城を拡張

中世には諏訪氏の一族である高遠頼継(たかとおよりつぐ)が居城としていた城。
1545(天文14)年、武田信玄は諏訪(すわ)から杖突峠(つえつきとうげ)を越えて高遠に進軍、高遠氏を降伏、開城に追い込んでいます。

信玄は伊那・三河への進出の拠点とするため1547(天文16)年、山本勘助、秋山虎繁に命じて城の改築を行なっています(『甲陽軍鑑』)。
1562(永禄5)年には、諏訪氏を継承した若き武田勝頼が城主に。
1582(天正10年)、織田信長の本格的な武田攻め(甲州征伐)が始まり、高遠城は織田信忠軍5万の猛攻を受け落城。
その後、城主は目まぐるしく替わりますが、1691(元禄4)年、内藤清枚(ないとうきよかず)が3万3000石の藩主として入封(内藤清枚は権兵衛街道を開設)。
以後明治まで内藤氏の治世が続いています。

4月には『高遠城址公園さくら祭り』開催

明治4年、廃藩置県によって高遠城は取り壊しとなり、建物は破却され、城内は荒廃。
有名な1500本のコヒガンザクラのルーツは、明治8年に旧藩士が馬場にあった桜を移植したもの。
荒廃を見かねた旧藩士が植えた桜が、今では全国的な桜の名所となったもの。

長期に渡り『高遠城址公園さくら祭り』が開催され、最盛期には日没〜22:00の間、ライトアップが実施されます。
桜の咲き始め(開花宣言の翌日)~桜の散り終りまでが入園有料期間となっています。
公園からは残雪の仙丈岳(南アルプス)、木曽駒ヶ岳(中央アルプス)を眺望し、桜とのコラボが被写体に。

 

高遠城址公園
名称 高遠城址公園/たかとおじょうしこうえん
所在地 長野県伊那市高遠町東高遠
関連HP 伊那市公式ホームページ
電車・バスで JR伊那市駅からJRバス高遠行きで24分、終点下車、徒歩20分
ドライブで 中央自動車道伊那ICから約13km
駐車場 200台/無料(桜開花宣言の翌日~桜の散り終りまで有料)
問い合わせ 伊那市商工観光部 TEL:0265-94-2556
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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