皇女和宮御下向行列|木祖村・塩尻市|2019

幕末に「公武合体」あるいは「公武一和」という方針のもと、仁孝天皇の第八皇女・和宮を徳川家茂に嫁がせるという政略結婚が行なわれました。そのため、和宮は中山道を江戸を目指して下向します。その姿を再現したのが『皇女和宮御下向行列』。華やかな衣装を身にまとった62名の行列が薮原宿及び奈良井宿を練り歩きます。

「公武合体」の掛け声の下、幕府に請われて和宮は江戸へ

「公武合体」(公武一和)とは、幕末に朝廷(公)のもつ伝統的権威と、幕府の権力(武)を結びつけて幕藩体制の再編強化が図ろうとした政策。そのために仁孝天皇の皇女・和宮(15)の14代将軍・徳川家茂(16)への降嫁が決まります。
黒船が江戸湾に襲来し、安政5年(1858年)には日米修好通商条約が朝廷に無断で締結。政情は不安定となっていました。万延元年(1860年)4月12日、幕命を受けた京都所司代・酒井忠義は九条尚忠へ和宮の将軍家降嫁を奏請。その後、朝廷はこの申し出を何度も断りますが、ついに万延元年10月18日、孝明天皇は和宮の降嫁を勅許します。

東海道を江戸に下るには、大井川の増水による川留(かわどめ=渡御停止)などもあり、日数の計算ができません。そのため、和宮降嫁のルートは中山道が選ばれたのです。
 

信州StyleMEMO/和宮と木曽路

文久元年(1861年)旧暦10月20日に京を出発した行列は、中山道を一路江戸へと向かい、11月3日に藪原宿で御泊り、11月4日には奈良井宿で御小休をとっていることが古文書に記録されています。江戸城内の清水屋敷に入ったのは11月15日のこと。
信州(現在の長野県)では、三留野(みどの)、上松(あげまつ)、薮原(やぶはら)、本山(もとやま)、下諏訪(しもすわ)、和田(わだ)、八幡(やわた)、沓掛(くつかけ)の8宿に宿泊しています。

藪原宿本陣で1泊した和宮は、木曽路最大の難関である分水嶺・鳥居峠を越え、11月4日には奈良井宿で御小休、贄川宿で御昼、本山宿で御泊り、翌5日には、洗馬宿で御小休、塩尻宿で御昼をとっています。

京方1万人、江戸方1万5000人、諸藩の警固1万人、その他人足や賄の人数を含めると総勢8万人といわれ、まさに空前絶後の大行列が「すべて山の中」といわれた木曽路を歩いたのです。

 

皇女和宮御下向行列|木祖村・塩尻市|2019
開催日 2019年10月20日(日)
開催時間 薮原宿(木祖村)11:00〜12:00
奈良井宿(塩尻市)14:00〜15:00
所在地 長野県木曽郡木祖村・塩尻市奈良井
場所 中山道薮原宿(木祖村)・奈良井宿(塩尻市)
関連HP 塩尻市観光協会公式ホームページ
電車・バスで JR奈良井駅から徒歩5分
ドライブで 長野自動車道塩尻ICから約28km
問い合わせ 街道交流事業実行委員会事務局(塩尻市観光協会内) TEL:0263-54-2001/FAX:0263-52-1548
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